HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

「環境デザインを通じた防犯」、あるいは現代の街づくりと歴史のある街

先日、街の鮨屋さんでお会いした女流都市計画コンサルタントのウェンディさんとの交流が続いている。

そもそもこの出会い自体が街の力だと思えてならない。私の古くて新しい街を翌日に見に行ってくれたことをウェンディーさんが知らせてくれた時に、「通りの力」に触れていらした。街の通りには、いろいろな方が通る。知りあいもいれば、一見さんもいらっしゃる。夕食の買い物に来られる方もいれば、歓送迎会に来られた方もいらっしゃる。いろいろな世代、いろいろな目的の方が通りを往来し、なんとはなしに交流してく力はすばらしい。お陰さまで通りを往来しているだけで、私はたいがいの用事がすんでしまったり、会いたいと思っている方にお会いすることが多々ある。

そのウェンディーさんから、先日、ニュージーランドクイーンズランドの「環境デザインを通じた犯罪防止」(crime prevention through environmental design)のパンフレットを送っていただいた。

これがすごい!なんとジェイン・ジェイコブズの「アメリカ大都市の生と死」をベースとして発展した考え方なのだ。

アメリカ大都市の死と生 (SD選書 118)

アメリカ大都市の死と生 (SD選書 118)

ウィキペディアにもあった。

日本人の研究者の方もいらっしゃるようだ。

つーか、ハンドブックまである!


いただいたパンフレットによると「犯罪防止環境デザイン」にはいくつかの原則が存在するのだそうだ。

  • 自然監視(surveillance): 目や場所に視線を通わせる。パブリックとプライベートのバランス。やはり、人は人の目のあるところでは、犯罪行為は自然と控えるもの。公共の空間において、人の目の通わない部分は作らないことが大切。
  • 街の見えやすさ(legibility): よい街というのものは、自然と自分がどこにいるか、どこになにがあるかわかるような構造になっている。街のわかりやすさ。人の集まる「通り」には、自然に足が向いてしまう。
  • 領域性(territoriality): 人々の感覚の中に自然と「入ってはいけない場所」という感覚がある。プライベートとパブリックの境界を明確にするフロントガーデンや、木立ちをデザインすることは可能であろう。
  • 私たちの街意識(ownership of the outcome): 公共の空間であっても、それが自分たちの街であり、大事にしなければならない対象なのだ思えるかどうかは、維持の観点からとても大切だ。帰属意識とはちょっと違うのかもしれないが、「街への所有感」、維持していく意思といったところではないだろう。
  • マネジメント(management): きちんと掃き清められた道にごみをすてるときには抵抗がある。ごみがいっぱいな場所には、簡単にものをすてられる。その場所を愛する人々によって、「マネジメント」されている場所では犯罪はおこりにくい。
  • 傷つきやすさ、堅固さ(vulnerable): 攻撃されやすく、人目につかない場所というのはある。あかりを照らすだけでも安全な場所というサインを送ることはできる。犯罪がおこりにくい街の堅固さということ。

日本における研究がきちんと存在するようなので、私のような素人がうんぬんすることは憚られる。

だが、これらの要素は案外歴史のある街では自然と達成されていることではないかなと思った。飛騨高山の通りをあるいていると、目通しは自然にとおっている感じがするし、どの裏どおりに行っても掃き清められているように思った。通りにお店を出している人たちは、こよなく街を愛しているのを感じた。つまりは、歴史がある街であれば自然にできていることを人工的にやってしまおうという意思が感じられて仕方がない。ジェイン・ジェイコブズでは、もう少し自然に形成されたものに対する敬意を感じたのだがどうなのだろうか。

とおもって探してみたらあった!

そしてJ・ジェコブスの4原則。

1.
都市の街路は必ずせまくて、折れ曲がっていて、一つ一つのブロックが短くなければならない。
2.
都市の各地区には、古い建物ができるだけ多く、残っているのが望ましい。まちをつくっている建物が古くて、そのつくり方もさまざまな種類のものがたくさん交ざっている方が住みやすい。
3.
都市の多様性ゾーニングの否定。都市の各地区は必ず2つあるいはそれ以上の働きをするようになっていなければならない。
4.
都市の各地区の人口密度が充分高くなるように計画したほうが望ましい。人口密度が高いのは、住居をはじめとして、住んでみて魅力的なまちだということをあらわす。

ももち ど ぶろぐ|J・ジェコブスの『アメリカ大都市の死と生』はどこかで街的なのだ。

これはとても自然な原則。


■おっしゃるとおり!

ごく一般の方も「生と死」を読んでおられるとことに感動。

1.パブリック・スペースとプライベート・スペースをはっきりと区別すること
2.街路に常に「多数の目」が置かれるようにすること
3.街路を常に誰かが使用していること

はてなダイアリー

これはこのまま「環境デザインを通じた犯罪防止」(CPTED)に通じる。ちなみに、つい先日CPTEDがそのまま試験に出て感動してしまった。