HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

ノンポリ大学

防衛大から入学の許可までいただいたものの、別の大学も受かり、どちらにいくか相当に悩んだ。結局、防衛大にはいかなかった。だから、ブログでくだをまいていても、私の愛国心などはしれたものだ。防衛大に素直に進学された方々を心から尊敬する。

たまたま、所用でその母校へ行ってきた。

やはり、母校は母校だ。歩いていると、こころもち学生時代の仲間と似た風体の学生にあふれている。校舎に入ると昔の友達が顔を出してくるのではないかとどきどきした。卒論を書いた研究室、自分の住んだアパート、友と立ち話をした自転車置き場。なにもかわらない。歩いている内に、30年かわっていないことに背筋が寒くなった。

私の大学は、都内にあったときは激しい学生運動の根拠地であったと聞く。それが、場所を研究機関が集中する筑波研究学園都市に移動してからは、すっかりなりをひそめた。学生時代に、左翼系も、右翼系も、政治的な動きは全くなかった。相当に人工的な環境であったと言える。

しかし、私の入学から30年近く経ったいまも状況はそのままで推移した。新しく経った研究棟がいくつかと、背丈が3倍くらいになった樹木くらいしか変化していない。これが日本の姿なのだと想う。多少無理があっても、政府と民衆のノンポリ志向によって国の形が決まった。そのまま、破綻することも、大きな改革もないままいまを迎えている。

小さな山火事がないと、森にたまった枯れ葉や、密集した樹木により巨大山火事が生じる可能性があるという。日本も同じだ。小さな騒動をすべて押さえ込んできたために、すでに戦争状態に巻き込まれていることに気づかずにいる。