HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

八正道

般若心経が中国語から訳された「外典」(Apocrypha)だと。そう唱えている学者がいても、仏教信仰の立場から言えばなにも変わらない。それは、キリスト者がQだの「ユダの福音」だののニュースを聞いても動かされたないのと同様であろう。

牧師が読みとく 般若心経の謎

牧師が読みとく 般若心経の謎

本書にはなにかもっと違うものを期待していたような気がする。般若心経の解説としては、ごくストレートであり、聖書の例えと比べることによりより現代人にとってわかりやすかった。「伝道者の書」の「空」と般若心経の空との違いなどはあまりに当たり前といえば当たり前。聖書の「空」については学生時代に哲学専攻の友人に教えてもらったことが書いてあった。

私は「無無明亦無無明盡」という箇所が好きだ。「迷いなどなく、迷いがつきることもない」と読むのだろうか、それこそお前はなにものだと言われる覚悟で言えば、この言葉は、"The Blue Hearts"の「あきらめきれぬ事があるなら/あきらめきれぬとあきらめる」を聞いて泣きたくなるような気持ちがするようなインパクトがある。

昔々日曜日の朝の対談番組に出ていた、ええと、誰だっけけかな、そうそう細川隆元さんが「心無罣礙無罣礙故」という箇所が好きだと言っていた。そう言い切れるところまで私にとってはまだまだ道は遠い。遠くて先が見えない。

『般若心経』は決して「五蘊」、「十二処」、「十二縁起」、「四諦」などの仏教の基本的な教説を否定しているのではなく、これら「法」を実体視することを否定しているのです。そして、この「空」を洞察する智慧によってこそ悟りに至ると説いています。

般若心経とは?専門用語を使わない和訳と、その意味 - はじめてのお葬式ガイド | いい葬儀

当たり前のことを当たり前にやるのだと誓った中学生の私と今の私となにも変わっていないのが悲しい。


正見
正思惟
正語
正業
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正精進
正念
正定

■参照

一応念のため。

比較的最近に発表されたものとして、『般若心経』が中国撰述であるという説がある。米国のジャン・ナティエ(Jan Nattier)が1992年に、鳩摩羅什訳『摩訶般若波羅蜜経』などに基づき、玄奘が『般若心経』をまとめ、それを更にサンスクリット訳したという説 "The Heart Sutra: A Chinese Apocryphal Text?", Journal of the International Association of Buddhist Studies, vol. 15, no. 2 (1992), 153-223. (Reserve)" を発表している。日本では『三康文化研究所年報』37号(平成18年3月30日/p17−83)に「『般若心経』は中国偽経か?」(工藤順之、吹田隆道訳)として邦訳された。

偽経 - Wikipedia