HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

私は一人のために死ねる

戦争を美化するつもりはない。防衛すら、しなくてすむならしたくはない。しかし、家族ですら自己犠牲がなければ成立しえない。私は、自分の家族のために死ねる。自分の子供が危険にさらされたら、自分の命をもってあがなうであろう。まして、自分の国を守るためにいやがおうでも自己犠牲は払わなくてはならない。

参議院特別委員会の佐藤正久議員の質疑のごく一部を拝見して、人の命を守ることの大切さ、その仕事に携わる方々の真摯さを感じた。

佐藤もイラク派遣中、現地の部族長などとの交流を大切にし、意見交換などを頻繁に行いました。
現地住民と信頼関係を築ければ、隊員の安全にかかわる情報も入るようになり、隊員のリスクを相対的に軽減することができます。

特別委員会: 質疑に立ちました(隊員のリスク軽減について)|佐藤正久オフィシャルブログ「守るべき人がいる」Powered by Ameba

静かな言葉の背景に、自分がどのようになろうとも現地に残された日本国民を守るのだという覚悟をもった行動が感じられた。実際に他国のヘリコプターで日本の艦船に緊急で日本国民が運ばれたときに、必要があれば給油しないで帰すことができるだろうか?現行法ではできないと聞く。戦争が起こった地域から避難する国民が米艦に乗っている時に、自衛艦は自分を盾にして守ることしかできないというのは、なんという屈辱であるか、なんという同盟国の温情への裏切りであるか。

安倍首相の答弁にも、決意を強く感じた。佐藤議員のサマワでの体験に、深く感じていらっしゃる様子がうかがえた。

この映画(永遠の0)は決して戦争賛美でもなければ、自己犠牲を100%是ともしていない。強いて言えば、犠牲を払いながらも、生き抜くこととはなにかを描いている。

(中略)

だからこそ、安倍首相の「……」という感想に言外の想いを感じる。国のリーダーとしてかじとりをあやまってはいけない、近視眼的な意思決定をすることの悲劇を痛切に感じられた感想ではないかと、私は勝手に解釈している。

安倍首相の「……」 - HPO機密日誌

リーダーは自らに従う部下、責任を負う人々のために自らの犠牲をうとんではならない。人々がどれだけ自分に対して無理解であっても、自らは真摯に自分が責任を負う人々への真摯さを常に行動しなければならない。部下たちは見ている。自己犠牲を払わないリーダーに誰もついていかない。

ローマの帝政とは、我と我が身の全てを担保にさしだし、善政を行なえなければ暗殺されても構わないという覚悟で、自分の人格において帝国に起こるすべての問題を解決しようとした「カエサル」たちによって担われた。担われることによってパックスロマーナは支えられた。帝政を確立したアウグストゥスに先立つカエサルが、自分の政敵にもローマのコモンセンス、伝統である寛容さを示した上で、あえて護衛もつけずに元老院に登院し、結果として暗殺を受け入れたことは、歴代のローマ皇帝の新たなコモンセンスを生んだのではないだろうか。自己を担保としてかける、自己犠牲を厭わないという覚悟だと私は信じる。そして、この寛容さと我とわが身をなげだすリーダーの崇高な姿は、大切な共有されるべきコモンセンス、伝統として永く残ったのではないか。

そっかいまここで書くべきなんだな - HPO機密日誌

逆に、現在の安保法案に反対する若者とは、自己犠牲など絶対にいやだと表明しているに過ぎないという武藤議員の意見には全面的に賛成だ。

計画経済においては、自由は失われる。

なぜなら、そこでは、自由取引よりも「配給制」のような、人間の意志と自由の相互性という担保が必要とされない商品の分配が強調されるため、「自ら由らしむ」べき自由の相互性の破壊となる。完全な計画経済では、すべては強制的に行われ、国家がすべてを保障するために、相互の権利も自由もない。いや、幸運なことに完璧な計画経済、完璧な全体主義はこの世には存在したことはないし、これからも存在しないだろう。

(中略)

計画経済ではない体制であっても、自由の相互性の原則が徹底されれば、必ずフリーライダーの発生という問題が起こる。

人の信頼と尊重を、悪用する輩だ。自由のフリーライダーとは、自由が存続するために必要な基盤の維持、整備に力を注がず、相互性ではなく自分の外形的で野放図な自由のみを主張する。「ただのり」、働く、働かない、というよりも日本においてかろうじて残ってきた伝統的な価値を破壊するような方々ではないだろうか?

そっかいまここで書くべきなんだな - HPO機密日誌

もっと過激なことも書きたいが書かない。ただ、戦争末期において全ての国民が自己を犠牲にしてでも、自分の周りの人を生かしたい、自分一人が死ぬことで千人、いや百人でも、1年、いや1日でも、生きられるのなら自分の命は惜しくないと覚悟していたことは思い出されるべきだ。

吉本(隆明)ですら全国民の、自分自身の死を覚悟していたのだと伝わる言葉だ。この全国民の覚悟が8月15日で反転したと。死すべき神に裏切られたのだと。三島由紀夫の「英霊の聲」で、二・二六事件の士官たちの「兄神」と、散華した特攻隊員たち「弟神」の声として、この裏切られた恨みを「唱っている」。長谷川三千子氏はここに三島由紀夫自身の声を読み取る。

(中略)

一方、同じ日に全国民に示された天皇陛下の側の覚悟がまたある。国民の側は初めて聞く天皇陛下の声に天皇陛下のご覚悟を読み取ったのだと。