なんてかっこいいものではないのだけど、一連の議論を見せていただいて、べき乗則のことを思い出した。
結論
従って、自分の属するレベル、自分が存在の基盤を置く尺度において、自分自身の永続的な存続をかけてできるやつはそれ以外のやつらの面倒を見ることが最適戦略となる。
ロングテール時代のノーブレスオブリージェの導き方 - HPO機密日誌
あとは、のちほど。
ちょっと材料の下ごしらえだけ。ああ、忙しい、忙しい。
正確にいうと上のグラフはべき分布ではないのだが、赤の女王仮説というか、常に上に向かって走り続けていたいないとそこにいることすらできないということを説明するには、わかりやすいのではないだろうか?ちなみに、上が昭和55年(1970年)、下が平成15年(2003年)だ。順位は入れ替わっているし、全体のトータルは首都圏であるので増えているのは間違いないが、形、曲がり方は同じに見える。
賃金と生産性の議論に私は確実についていけないのだが、私に言えるのは賃金の水準というのも首都圏の都市のようなもので上から何番目にいるかがとても大事だということだ。人は人がほしがるものがほしいわけで、絶対額として上がっているからよいというものではない。そして、その順位を守るためには他の人が必死に走り続けている中で、自分も走り続けるしかない。誰もが走るにしても、持っているものは資本でも、人のネットワークでも、資本でも違うわけで、自然とその分布はべき乗則に従うことになるわけだ。
うーん、仕事が一段落して朝の続きを書き始める。なんかこんなの意味があるのか、自分でも疑問になってきたが...分裂さんがすでにはずしているらしいし...
異論はいろいろあるかもしれないが、ウェブであろうと、昆虫の分類であろうと、所得の分布であろうと、生態系とかネットワークが問題となるところ、正規分布よりもべき分布が多く見られる。ちょっとべき分布とか、べき乗の法則とかぐぐってみるといくらでも例が出てくるんじゃないかな?
最近は経済、バイオ、インターネットなど様々な分野で、特に多数の要素がたがいに影響しあって微妙な均衡を保っていると考えられる場合に冪分布が見いだされるという研究が非常に流行っている。冪であることを示すには両対数グラフを書いた時に直線になればよいが、どんなグラフでも横軸が1、2桁の幅しかなければ直線に見えなくもないので注意が必要である。
べき乗則とは サイエンスの人気・最新記事を集めました - はてな
ここんところ、なんかひとごとでなくなっている生産性と賃金の問題の議論と、ブログの上でずっと気になり続けているべき分布と、つながりがあるんでないか、というのが朝の直感。経済オンチな私が思っただけなので、信憑性には欠ける。はっきり言ってない。
ただ、生産性の議論を見ていると、パイが決まった中でどのような食い合いといか、競争を各個人が取るのかという問題であるなら、限りなく多くの個体がお互いに食い合い、食い合いしている生態系として考えることが可能だと思うし、もし生態系としてアナロジーが許されるのなら、どっかにべき分布がみられるはずだという予測をする。そもそも、所得の分布はべき分布することは広く知られている。私は↑の首都圏の人口くらいしか分析していないが、たぶん国内の国民一人一人の生産性の分布とか、国のGNPとかをグラフにすると量対数グラフで直線になり、べき分布していることがわかるだろうと予測する。
それはなぜなのか?どのような含みを持つのか?この辺を考えてみたい。
↑の記事でばくぜんと書いた。
1.前提
1-1.全ての階層、全ての尺度でべき分布が成立する。
1-2.べき分布から「できる極少数やつはそれ以外の数え切れない多くのやつより何倍もパフォーマンスがたかい」といえる。
1-3.できるやつとそれ以外の関係はべき分布に従うため安定レベル、安定した尺度においては格差は止めどなく広がる。
ロングテール時代のノーブレスオブリージェの導き方 - HPO機密日誌
これはイメージしにくいのかもしれないが、以前セルモデルで作ったグラフで説明できるような気がする。
インフレーションの形: HPO:個人的な意見 ココログ版
これは、簡単なプログラムで20×20のセルの間でお互いに贈与しあうようなルールでセルオートマトン的に世代を重ねさせたときに来た図形だ。エクセルの表も↓の記事につけてあるので、Basicで作ったプログラムは読みやすいと思う。
隣近所への贈与と、周辺で消えていく贈与だけで本当に麦わら帽子型といか、つりがね型のグラフができる。社会とはこんなもんだと諦念してしまってもよいのかもしれない。周辺は沈み、中央は栄えていく。格差も常に広がっていく。
べき分布の検証もエクセルの表の時にしている。べき分布というよりも対数の方が近似がよかったような記憶があるのだが、ポイントはどこでとっても同じ係数(曲がり方?)をしているということだ。中央部でサンプルをとっても、周辺部でサンプルをとっても、同じ分布の係数だということだ。都市部の金持ちで所得の分布を書いても、地方で分布を書いても、最高、最低額はぜんぜん違っても、分布の仕方は同じだというような意味だ。感覚的に正しくないか?経済学的に正しいかどうかはしらないが。
1-4.格差が広がるレベルにおいてあまりに差がつくと数え切れないそれ以外のやつらは存続に必要なラインを切って消滅する。
1-5.数え切れないやつらが消滅するとそのレベル自体が極度に不安定になり、少数のできるやつも消滅する。
1-6.一方べき分布は個体の位置が常に入れ替わる方が安定しやすく、分布の形は一定でも上位と下位とで入れ替わりがある。
1-7.この意味で数え切れないやつらは少数のできるやつの母体といえる。
ロングテール時代のノーブレスオブリージェの導き方 - HPO機密日誌
ロングテールの議論を見ていて結構欺瞞だなと思うのは、企業が多くの在庫とか製品系列で売り上げの下の方を切らないのは、世の中が変わっていくときに、突然下位の系列から爆発的に売れる商品が出たりするから。たぶん、人材に関しても底上げの努力はしながら、できないやつでも普通にやとい続けることが多いのは、いざという時に化けたりするやつだでるからだと、私は思う。
それでも、企業の中でも、所得の問題では、あんまりひどいと首にされたり、ワーキングプアというのだろうか、生存に必要な費用を収入が割ってしまう状態におちいる。自動車工場の労働者とか、金融関係の人間とかだけが高級を取っていて、ウェートレスとか、お茶くみ要員の賃金があまりに低くなると、誰もやらなくなり、前者の中から後者の仕事をする人がでなければいけなくなる...って、誰かが書いていたな。
ちょっと違うけど、↑↑のグラフで周辺部から贈与が落ちていくあたりがこの辺かもしれない。いや、違うな。ぜんぜんモデル化できていないな。もし、検証したいというきとくな人がいたら、エクセルの表で「積算パターン」というところに「死滅レベル」の設定ができるようになっているので、見てくれるとうれしい...って、こんなマイナーブログを読んでるやつすらいないよってか?
2.結論
2-1.従って、自分の属するレベル、自分が存在の基盤を置く尺度において、自分自身の永続的な存続をかけてできるやつはそれ以外のやつらの面倒を見ることが最適戦略となる。
ロングテール時代のノーブレスオブリージェの導き方 - HPO機密日誌
好むと好まざるとにかかわらず、競争で賃金は決まるとは言え、税金という形であれ、喫茶店に通い続けるという形であれ、自動車工場の労働者は、間接的にウェイトレスとか、プログラマーを助けてやらなけりゃならないということだ。それが、最適戦略なのだ。どこまでロングテールであろうと、どこまで格差があって山が高かろうと、同じ経済圏に属している限り、手を差し伸べてやらないと自分が苦しむよということだ。
そうそう、これはたぶん国を越えても取引があるかぎり当てはまるのだろう。私たちの生活がモジュールの輸入という形であれ、ソフトウェアの下請けという形であれ、サービスの代替という形であれ、国境を越えた外の人々と経済取引をしている限り、手を差し伸べるべきなのだ。「おまいらは死滅しちゃっていいぞ、逝ってよし」とやるのは、あまりにも自分の生活がなんで支えられているか自覚していない人の態度だ。
私も少し前まで、「先にいくやつはじゃまだ!」と信じていた。「はやくどけ!」、と。でも、最近違うんだな。人間が社会の変化よりも長生きであって、しかも生殖能力をうしなってからもまだ行き続けるというのはだてじゃないんだなと実感している。上は下を引き上げるべきなのだ。それこそが最適戦略なのだと私は信じる。
って、あれ、なんか生産性の議論とも、賃金の議論ともひっかっかってないね。ま、いいや。私の実力なんてそんなもの。
習慣でももちさんとこにとらばを打たせていただく。
すごい!おとなりさんで発見!ほぼ同じ時刻に、少なくとも同じような問題意識を持っていらっしゃる方発見!はてなってすごい!
僕は、このような世界はさほど悪いとは思っていません。
理由は、自然界の進化するときの多様性が、ロングテールになっているのではないか?という知見が出始めていることに由来します。
つまり、進化の形態としては、圧倒的に現在最良と思われる形態が大部分を占め、一方で、環境に激変に対して、大きく違う形態が少ないながらも多様に存在するという形を進化の法則は取っているのではないか?という考え方です。
2007-02-12
しかも、森祐治さんの記事へ言及していらっしゃる!!!いや、やっぱりこの世はスモールワールドだ。
なんかいい加減あきれられるだろうとと思いながら...
要するに、横並びの賃金決定が、一方では非正規労働者や失業者を増やし、他方ではプログラマの悲惨な生活をもたらしているのだ。
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/b697e23a80b6602167c2f5e43ebad041
その通りなのだと納得せざるを得ない。しかし、それでも、...いや、反論できるほどの材料を私は持っていない。ただ、べき乗則的に所得が分布し、かつ生存に必要なコストが一定の額を超えるのなら、多分一番上の山の天辺は高いほうがいいし、経済ゲームに参加している個体の数は多い方がいい。もっといえば、多様性も国を超えてでも高い方がいいのだと思う。
そっか、贈与というか、富が上から下へ流れるという話は、経済学で定式化されているわけだ。Danさん、ありがとうございます。
一つ考えられる方法は、とりあえずナナ氏に全部増収分を渡してから、今度はナナ氏が他の社員にボーナスを払うというものだろう。それをすごく間接的かつ強制的にやると累進課税ということになり、直接的かつ意図的にやると、トリクルダウン理論ということになる。
404 Blog Not Found:生産性は誰のものか