HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

映画「コンタクト」

たまたま見た。なんかうれしかった。

この映画の意味するところを10年くらい前に見たときはまったく理解していなかったのだと漠然と思った。

幸せなSF小説読みの私にとってカール・セーガンは、センス・オブ・ワンダーそのものと言っていい。

彼は我々の太陽系を解明するために飛ばされた無人宇宙探査機計画の大半に参与した。彼は変形せず、そしてまた普遍的なメッセージを太陽系外に飛んで行く宇宙船にくっつけるという考えを抱いた。そのメッセージは地球外の知的生命体によって発見されれば解読されるかもしれないというものであった。その最初の試みがパイオニア10号と呼ばれる宇宙探査機に取りつけられた金メッキのプレートであった。セーガンはそのデザインをフランク・ドレイクらとの共同で改訂し続けた。その集大成が、彼が鋳造に加わったボイジャーのゴールデンレコードであった。それはボイジャー宇宙探査機に積まれて打ち上げられた。

カール・セーガン - Wikipedia

彼のやってきたことは科学でないといわれるのかもしれない。確かに、科学という方法論をどこまできちんと身につけていたのか、私には判断できない。それでも、科学へのあこがれをずっと持ち続けた人なのだと私は信じる。

そして、「われわれは宇宙の中で孤独なのか?」という問いよりも深遠な疑問があるだろうか。たとえメッセージは解読できなくとも、ほかの文明からの信号を受け取ったというだけで、われわれの世界観や自分を見る目は変わるだろう。

宇宙人捜し

もう是も非もなく、私は共感してしまう。人は、地球の支配種であることは自覚していても、地球がかけがえのないものであることを自覚していないことが、さまざまな傲慢さや戦いや資源の無駄使いを生んでいるのだと私は信じる。

"You are an interesting species, an interesting mix. You are capable of such beautiful dreams and such horrible nightmares. You feel so lost, so cut off. so alone."

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フロンティアが消滅するまで、地球全体の地図が描かれるまで、まだ人は自分の未知なるものに対しての畏怖を持っていた。それに戻れとは言わないが、畏怖は失ったにもかかわらず、自分たちとその子孫と地球の環境に対して謙虚になれずにいるのではないだろうか?謙虚さは失ったにもかかわらず"so cut off"のままの状態なのだ。

小説版の「コンタクト」において数学の美しさの描写がもっともっとあったように思う。もしかすると、イーガンがよく究極の探求として数学を持ち出してくるが、数学こそが最後の未知の分野になるのかもしれない。小説版のラストの円周率の探求には感動した。未知に対して人は初めて謙虚になれるのか?

コンタクト〈上〉 (新潮文庫)

コンタクト〈上〉 (新潮文庫)

映画より断然内容が濃い。映画は映画で映像と言う素晴らしい要素があるので劣ってるとは言えない。(監督ロバート・ゼメキスは自分も大好きだし)

誰が為の警鐘【Blog】 : コンタクト・上 (カール・セーガン)

あー、なんやかんやごちゃごちゃ言ってないで、自分で本棚から探してきて読みなおそっと!

ああ、お仲間を多数発見!

うれしい。


Danさんからトラバをいただく。名誉なことだ。

The Vastness is Bearable Only through Love