HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

20世紀とはなんであったか?

ドラッカーの「傍観者の時代」も半ばまできた。本書でドラッカー自身が20世紀をどのように捉えてきたかを書いている。

コンサルタントとしてではなく、ジャーナリストとしてではなく、経済・社会学者としてではなく、ドラッカー個人の視点から、19世紀への思慕がいかにして捨て去られ、ナチズムという形で社会の集合的な解決も捨て去られ、物質文明として繁栄してきたかが描かれている。つまりは、20世紀はなんであったか、21世紀はどうなるのかがこの本には書かれている。

これから読み進める「アメリカの日々」はまさにマネジメント、地球資源の市場主導による配分がいかに行われてきた方の歴史が語られるのであろう。まさに生産性を拡大することによって19世紀以来の矛盾を解決する実務家としてのドラッカーの活躍だ。

すこし急ぎすぎたが、「19世紀との決別」とは、例えばドラッカーの「おばあちゃん」の姿を通して語れる。

そして、何よりも、おばあちゃんが知っていたことは、コミュニティとは、金やサービスや薬の配給のためだけのものではないということだった。それは思いやりの世界だった。オルガさんの工学専攻の甥のことを覚えていることであり、彼が学位を取ったことを共に喜ぶことだった。

もちろんコミュニティは20世紀になりまったく死んでしまったわけではない。21世紀のいまでも、遠いアイスランドの火山に帰因する災害でさえ、「災害といえば火事と同じ、火事といえば炊き出し」と、考えるより先に取り残された人々への支援の手をさしのべる人がいるコミュニティはある。


実は、貨幣の問題、経済の問題は、このおばあちゃんの目線の先にあるように思えてならない。

カール・ポランニーを借りて、ドラッカーはこう書いている。

彼の目指したのは、市場が、唯一の経済システムでもなければ、最も進化した経済システムでもないことを明らかにすることだった。そして、経済発展と個の自由を両立させつつ、経済と社会を調和させる場は、市場以外にあることを示すことだった。
少なくとも市場は、財の交換と資本の配賦にのみ使うべきであって、土地と労働の配賦につかってはならなかった。それらのものは、相互扶助と再分配、すなわち経済的合理性ではなく、社会的合理性と政治的合理性によらなければならかなった。

しかし、カール・ポランニーはその兄弟と同様に挫折した。

彼らの挫折にははるかに重要な意味があった。それは、ホッブズとロック以来の300年とまではいわなくとも、フランス革命以来の200年にわたって、西洋が追い求めてきたものそれ自体が意味のないものであった可能性を示すものであったからである。

(中略)

私が『産業人の未来』において、妥当で耐えうる社会、しかし、自由な社会、カールが当時半端な妥協として拒否した社会をよしとした理由がそこにあった。そのような社会においてのみ、われわれは、望みうる最高のものとして、市場による人間疎外という代償ははらいつつも自由を実現することができるのである。
われわれは、個のために、競争、リスク、多様性という代償を払う用意はある。事実われわれは、そのような社会においてのみ、より大きな善ではなく、より小さな悪を目指すことができる。

かくして高校生のころ、中沢新一の「雪片曲線論」を読んで以来社会とは計算、制御可能であるかどうか考えてきたことへのひとつの回答がドラッカーから与えられたように思う。

雪片曲線論 (中公文庫)

雪片曲線論 (中公文庫)

それは、「大人になれよ」ということだ。19世紀のコミュニティ指向でもなく、保守主義への思慕でもなく、20世紀の理想主義とその破綻でももなく、大きな正義を求めるのではなく、巨大な悪となってしまいがちな動きを小さな悪にとどめるための知恵と良識だ。

まだ、読了した訳ではない。最後まで予断を持たずに読み進めたい。


■追記

つまりは、こういうことかなと。

「小善は大悪に似たり、大善は非情に似たり」