垣根涼介の「室町無頼」530ページを一気読み。ここのところ、読書量の落ちている私としては驚異的。やはり、垣根氏の小説は読ませる!
- 作者: 垣根涼介
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2016/08/22
- メディア: 単行本
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垣根氏得意の悪漢小説というジャンルを室町時代に時代を移して、物語ってくれている。分厚いステーキのようにバイオレントに、いつものおいしい脂身のような垣根氏のエロティシズムは薄く留めて。歴史的に見ればとても重く陰惨な事件であるにもかかわらず、室町時代の終わりを早めた土一揆という男たちの生き方を爽快に描いた。世間の表舞台からぬけおちた「無頼」漢たちを詳細なリサーチを元に描いている。世の全てから見放されていても、餓死、慚死、獄死と紙一重の人生で、武士の一分を歴史に示した男たちの生き様のインパクトがとても強い。食い詰め抜いていた才蔵がここまで成長したのだと青春小説のような読後感すらある。
ちなみに、当時の職業名はどこかに解説を入れてくれるとより読みやすい。
以下、ネタバレ。自分のためのメモ。
本書は、以下の史実に基づいている。才蔵は実は作者の創作の人物。
寛正の土一揆(かんしょうのつちいっき)とは、日本の室町時代中期、寛正年間に起きた土一揆のこと。特に寛正の飢饉のピークであった寛正3年(1462年)の一揆を指す。
寛正の土一揆 - Wikipedia
寛正の大飢饉による混乱の最中の寛正3年9月に京都において徳政令を求める土一揆が発生、浪人や在京大名の内者(被官)までが加わって、土倉などから財物を奪ったり、下京にて火を放つなどの行為に及んだ。10月になると今度は木津の馬借らが奈良で一揆を起こし、一旦は沈静化していた京都でも一揆が再発して京都七口を封鎖したため、室町幕府は諸大名に鎮圧を命じた。最終的には京都では諸大名の軍が、奈良では大和国の守護でもある興福寺の六方衆が一揆を鎮圧、参加者に対しては処刑も含めた過酷な報復が行われた。
骨皮 道賢(ほねかわ どうけん、生年不詳 - 応仁2年3月21日(1468年4月13日))は、室町時代の傭兵、足軽大将。
骨皮道賢 - Wikipedia
この後、応仁の乱が発生し、戦国時代へと突入し、時代は中世から近世へと移っていく。まさに歴史の結節点を正面から捉えた歴史小説だ。日のあたることの少ない、室町時代の終わりに垣根涼介はよく切り込んだと想う。