必要があって千葉の水運を調べた。「河川水運の文化史―江戸文化と利根川文化圏」という本の冒頭に「木下茶船」という話が出てきた。松尾芭蕉が江戸から船橋経由でいゆわる木下街道を経て、現在の印西市の一部、木下河岸(かし)から船に乗り香取神宮、鹿島神宮、息栖神社を経て、銚子まで月を見に行くという日記があるらしい。

- 作者: 川名登
- 出版社/メーカー: 雄山閣出版
- 発売日: 1993/06
- メディア: 単行本
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まさに「観光都市江戸」の面目躍如たるは、水運を使った交通網であったのだろう。江戸時代の水運の発展ぶり、江戸の観光地としての千葉がよく伝わる。
そういえば、成田における観光開発はどうなっていたかなと「観光都市 江戸の誕生」をふたたび紐解いた。
いつの時代も知恵者というのはいるのだと改めて感心するばかり。私の記憶では、本書には当時の老中にして佐倉城主、稲葉正通の活躍ばかりでなく、成田村の庄屋の活動も書かれたいたように思うのだが出てこない。ふと、思い出して成田市が発行した「図説 成田の歴史」を開いてみた。出開帳前後の歴史、風俗についてヴィジュアルにまとめられている。
https://www.library.city.narita.lg.jp/history/tuushi/index.html
現代の信仰の街にして交通の要衝という位置づけは昔も今も変わらない。成田の場合は、特殊な組み合わせかもしれないが近代以降この組み合わせは実は歴史学上重要らしい。