HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

崩壊への序曲

昨日のエントリーは、「形とながれ」を全面肯定した。今日は、全面批判モード。これを書かないと年を越せないので、紅白を切り上げてMacの前に坐っている。

一番の問題は、ベジャンの視点には極大と極小の入れ替わりの視点がない。コンストラクタルの法則では、大きければ大きいほど有利であることは説明できても、なぜ巨大に進化、成長した恐竜が絶滅したのか説明できない。エコロジーの変化だけではなかったはずだ。

思い出話から始めよう。私の母は、利根川沿いの町で育った。母がまだ小さい頃、利根川は何度も氾濫を起こしかけた。いや、確か一、二度は事実氾濫した。大雨が降る度に避難しなければならなかった体験はとても恐ろしいものとして、母の記憶に残っているようだった。

ベジャンのコンストラクタル法則に従えば、川はべき分布に従い序列は変わらず大きい川は大きくなっていく。しかし、実際には川は流れを変える。数百年前の利根川と、現在の利根川では流路が大きく変化している。人工的に手をくわえられるまで、川は何度も流れを変えてきた。ベジャンの言う「脈管生成」(vascularization)という言葉からは、内在的な原因で川の流れが変わるように階層の構造が大きく変わる瞬間を説明できない。母の恐怖には追いつかない。

ネットワーク=流路の複雑化は、システムの安定を産む。しかし、それではブラックスワンとしてのリーマンショックのような/古代の生物の少なくとも六度に渡る大絶滅のような/安冨先生の貨幣モデルの崩壊のような/利根川の流路の変化のような、大転換を説明できない。例えば、安冨先生の貨幣モデルは、べき分布をする貨幣価値のネットワークにおいて、崩壊そのものがネットワーク内に内在していることをシミュレーションで示した。

貨幣の崩壊

ベジャンの言うコンストラクタル法則からは、内在する崩壊の予感が伝わらない。ヴァスキュラライゼーションという言葉には、「脈動」の意味があるかとも想って調べてみたが、血管の生成ではあっても流路の変化という意味はない。なぜ古代の大都市が土の中から発見されるのか?なぜ経済は景気と不景気を繰り返すのか?なぜ母は利根川の氾濫におびえなければならなかったのか?ここにまだ疑問が残る。

コンストラクタル法則とべき分布、太極

本書を読んで書いたこの3つの図の一番右側の太極は、いわば変化の差分、微分を形にした物。太極とは実は立体なのだと聞いた。変化が起こっていくときには、差分をも加速していく。しかし、太極に達したときに頂点に立った物が崩壊すれば、生態系自体が変化せざるを得なくなる。利根川が流れを変えるとき、支流から分流まで関東の全ての河川に影響するであろう。あるいは、オプション取引という未来の可能性の流れがヴァスキュラライゼーション的に現在取引に折りたたまれた時、重なり合い超巨大な太極を産む。この太極が崩れるときに、リーマンショックは起こった。

ジャン先生の授業に出て、質問してみたいものだ。