「サピエンス全史」を日本人として読んでいて、なにが悲しいって日本がいかに人類史において傍流であり、メインストリームにインパクトがなかったか事実を改めて知らされること。
#サピエンス全史 の認知革命、農業革命、科学革命の視点から歴史を見ていると日本が歴史に出てくる機会は第二次世界大戦で原爆を落とされたことぐらいなのだと思い知る。 pic.twitter.com/lydzHGyZMH
— ひでき (@hidekih) 2017年6月17日

- 作者: ユヴァル・ノア・ハラリ
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2016/09/16
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逆に言えば、世界の歴史から見て傍流であったが故に、日本は安定していた。ネアンデルタール人の滅亡や、人類によるほ乳類の多くの種の大虐殺、あるいは、南北アメリカ大陸の原住民への病原菌移転による文明の根絶などの人類の激しい歴史を見れば、日本が島国であったがための幸いだと分かる。傍流であったがゆえに1000年以上にわたって天皇制を維持できた。このことが、いかに僥倖か。
言わば日本人は、民族として「創造的無能」を選び取ったのだ。この生態学的地位がネット時代においていつまで続けられるのかは、保証の限りではないが。
べき分布的にはここは違う。まさに統一に向かう世界からばらばらと別れていく過程にこそ真理がある。そして、人類の滅亡に向かう。 #サピエンス全史 pic.twitter.com/JI7xFRCRZJ
— ひでき (@hidekih) 2017年6月14日
本書はいわば人類の歴史の保守本流を扱っている。傍流に対する扱いは、家畜や、虐げられた文明や、女性に対する扱い以下。様々な疑義を歴史に示し、これまでないほど文化を相対化してみせる手腕は素晴らしい。しかし、歴史とはキリスト教のローマ帝国における台頭がそうであったように、誰にも予想できない傍流から変わってくる。
最後まで読み進んだ上で、この中心と周辺という問題に立ち返りたい。