HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

適応度勾配を全力で走り続けるのか?いまこの場所で創造的無能を得るのか?

d.hatena.ne.jp

分裂さんの議論の中で常に問題だと想うのは、走り続ける主体を個人のレベルとしてしか捉えていないところだ。戦う主体のレベルのとり方はNPOでも、会社でも、お役所でも、政府でも数限りなくある。分裂さんが主体を個に置くのも、子が親を殺すなんてニュースが奇異に感じられなくなった現代の日本において、自分以外の誰も信用できない現実があるのかもしれない。個人のみを単位とする行動規範を前提することは妥当だと感じる人がこの日本では多数であろう。

真砂の砂のようにまとまることがないと自らを中国人は揶揄する。その中国人ですら国をあげての天然資源の確保に向けて動いている。分裂さんの議論は天然資源クラスの国単位で争わなければならない問題を個人で解決しようとするところに混乱があるように思えてならない。

日本において国単位でできることはまだまだ沢山ある。ごく普通の日本人が国に対して働きかけらるべきことはまだ多数の面で存在する。そうそう、分裂さんのご指摘の通り資源の分配問題ひとつとっても、日本がすべての国内企業の固有化宣言をして、同時に徹底した徳政令を出して借金をチャラにしながら、超平等社会を作り上げてしまうくらいの選択肢すら考慮することは可能だ。他国はともかく、日本は、国という単位で共通の言語や文化を持つ人々によって構成されていて、まだ殺しあわずに議論ができるレベルであるのだから。

どの単位、どのレベルで最適解を得るか、日本の国へいかに働きかけるか、個人でどのような行動規範を実践するかは賢い分裂さんならとうに答えを出している問題であるとは思う。

さて、ここで分裂さんがおっしゃっていることに議論を移そう。分裂さんのご主張は、終わることのない適応度地形の競争のことなのだと想う。

「赤の女王」仮説が示すようにこの勾配の中では常に走り(進化し)続けなけれならない。立ち止まってしまえば、あっというまに勾配から下って絶滅してしまう。

2006-10-15

赤の女王仮説」とは例の「不思議の国のアリス (岩波少年文庫 (047))」に出てくるふとっちょの女王のセリフからカウフマンがとってきた言葉だ。

「いいこと、ここにきたら、とにかく全速力で走り続けないと、今いる場所に残れないのよ!分かった?」

赤の女王仮説 - Wikipedia

いかにこの厳しい適応度勾配の中で生き抜いていくかという問題に対して、私個人はブログを書いているうちにひとつの結論に至った。分裂さんのこのブログで改めてそれを自覚した。改めてここで書いておきたい。それは、現代社会において「シーラカンス」や「単細胞生物」でいつづけることだ。

それは私なりの「ピーターの法則 創造的無能のすすめ」からひいたひとつの結論だ。

ここで注目したいのは、こうした観察から著者が「創造的無能」という生き方を提唱していることだ。それは、先の適度度地形で言えば丘の途中で踏みとどまれということだと想う。

[書評]ピーターの法則 peter revolution: HPO:個人的な意見 ココログ版

私は日本の一地域で生き続けることを自分の道として選んだ。どれだけ最先端のスキルや金融資産の運用方式に乗り遅れようと、一番損をする生き方だといわれようと、この場所で全力で走り続けること。全力でこの場所で走り、全力でこの場所で生き続けてやるという意地こそが自分の選択した生きる道だ。つまり、私の選択した生き方は分裂さんとは対照的なものである。このことを自覚した上であえてトラックバックを送る。

赤の女王仮説」へ至る自分の内的な議論を思い出させていただいたことを、分裂さんに感謝したい。