暴力について考えている。人の生きている限り暴力はなくならないだろう。問題は、暴力の使われ方だ。使われ方によって、暴力は、警察、自衛隊、処罰の執行という形で秩序形成に役立つ。究極、国を守りうるのも武力という暴力がなければ守れない。ウィン=ウィンではなく、ウィン=ルースの関係ではあるが、必要不可欠な暴力である。
テロとは、ルース=ルース、「あんたを倒すためなら私も倒れる」という行為だ。以前からのダメダメのダメ行為であるという信念は変わらない。
こうした視座に立つ時、微妙な位置になるのがレジスタンスという行為だ。他国からの侵略から自国の統治を取り戻すための暴力は認められるべきであろう。ふりかえれば、第二次世界大戦末期においてフランスやチェコのレジスタンスは褒め称えられ、戦後はレジスタンスのリーダーが国の指導者となった。
映画「カサブランカ」では、ドイツ軍に対抗するためには死をも辞さない決意のチェコのレジスタンスは英雄として描かれる。
- 発売日: 2013/11/26
- メディア: Amazonビデオ
- この商品を含むブログを見る
第二次世界大戦当時の世相を反映してドイツ軍やヴィシー政権は悪役として描かれ、反独のレジスタンス活動を礼賛した内容となっている。アメリカ合衆国のプロパガンダ映画と見なされる場合もある。
(中略)
(イルザ=イングリッド・バーグマンの)夫はチェコの対独レジスタンスのリーダーで、夫婦はリックの持つような通行証を手に入れてアメリカに亡命するためにカサブランカに来ていたのだ。
カサブランカとは (カサブランカとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
一方、米国の上陸作戦を食い止めるために立てられた日本の本土決戦計画はいまだに蔑まれている。
多くの反応はこのブクマのようなものだろう。
日本軍の最高幹部たちが考えていた「本土決戦」とはどのようなものだったのか?b.hatena.ne.jpこういう歴史こそ学校で教えるべきだと思うんだけど、アレな子たちにしてみたら反日だの自虐だのって話になるんだろうな。こんな頭のおかしい指導者たちをきっちり批判できない方がよっぽど自虐なのにねえ。
2017/04/10 02:45
太平洋戦争をどうとらえるかは、終わった話ではない。日本の敗戦はレジスタンスのリーダーとは対極に多くの指導者を死に追いやった。「勝てば官軍」と言ってしまえばそれまでだが、なにか違うのか?まして、軍事行為、レジスタンスとテロは区別されなければならない。ここにきちんと線をひくだけの良心を持たなければならない。そのためには、歴史認識がとても大切となる。歴史認識が言うまでもなく現代の諸問題にもそのまま通じている。日本の歴史を大局的にかつ人の生き様としてよくよく学ぶことが大事。