HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

日本で一番小さな私立学校の校長先生

「日本で一番小さな私立学校長からのメッセージ 命ってなに?」の相先生のお話を聞いた。大変感動した。こころから御礼もうしあげたい。

いのちって何?

いのちって何?

以下、そのときのメモ。

人生には、答えがないことばかり。教えられないことばかり。

教えられるのは、技術や知識だけ。技術や知識は答えがあるから教えられる。

本当に大事なことは、子どもたちが答えのない問題に直面したときどう対応できるか、どう自分を変えられるか?それは、自分で気づくしかない。

本当に大事だと思うのなら、大人はそのこと自体を口にしてはいけない。「命」とか、「道徳」とか。それは、正解なのだが、そのことを言葉で口にするのは大人の自己満足だ。

教えられないことを気づかせるのは、大人の責任、情熱、率先垂範、汗。ディズニーランドに連れていくのはお金と時間があればできる。汗をかいたことだけが伝わる。子どもに感謝しろというのではなく、子ども「に」感謝する。子どもは感謝されたことをなによりも、喜ぶ、誇りに思う。


高校の修学旅行は、行願(トイレ掃除の修行)。体験から気づく。

雪の中、高校生が行願をして、「相手も喜んでくれた」と発見した。「行願はトイレ掃除ではない」、彼女にとっては修行の道場だった。この雪の行願で、別の男子高校生が「掃除したお宅のご主人が水の代わりにお湯を入れてくれた。ご主人のこころのあたたかさだと思った」と語った。


2,3歳で子どもは言葉をしゃべるようになる。誰も子どもに言葉を教えられない。話しかけつづける言葉がつみかさなって、子どもは言葉を話しだす。子どもにとって言葉は知識ではな、生活だ。

「気づき」と「築き」の両方が必要。子どもは、気づいて、(自分を)築いていく。

いじめも突然出るわけではない。2、3歳までの積み重ねが、どこかで結果に出る。


子どもたちが活き活きしている理由は、校長先生である相さんにもわからない。

ある別の大きな小学校では、「清掃してくれる人に感謝してきれいに使いましょう」と掲示してあった。その学校では、子どもが掃除をしていない。

相先生の学校のある女子中学生の作文。


気づかなかった当たり前

トイレが嫌いだった。掃除なんかしたくなかった。この学校に来て変わった。トイレは最初から汚いんじゃない。使う人が汚く使うから汚くなるんだ。自分で掃除をする。モップや、たわしじゃなく、雑巾で床をふく。だからうちの学校のトイレはとてもきれいだ。先生も、先輩もみな、自分でやる。だから自分もできる。気づかなかった当たり前だ。

小中高の全校で100人しかいない。70年の歴史があって卒業証書番号はこの春やっと312番を発行した。学力選抜でなく、価値観選抜だから有名大学入学は目的ではない。それでも、国公立大学入学者は30人はいる。京大も5、6人はいる。大阪の私立中学をやめて中学から入った子が数年前に京大に入った。彼は中学生の時に「価値観の選択」でこの学校に入った。

この子から在校生に向けてのメッセージの一節。

「僕は(受験に対して)深い自身がある。学力の自身ではない。他の受験生が受験勉強しかしていないときに、僕らは筍を掘り、まきを割って、掃除や料理をしていたという自信だ。」

後始末や、身の回りの掃除のできない人が、地球環境問題を引き起こしている。

まだまだ素晴らしい言葉がいっぱいだった。