タレブの問題意識が経済学者に伝わらないのは、経済学の方々には金融工学も、統計論も、価値判断に関する尺度構成の原則も教育されていないからではないかと思えてならない。
- 作者: ナシーム・ニコラス・タレブ,望月衛
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2010/11/27
- メディア: 単行本
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ちょっと長いけど、例によって「強さと脆さ」から引用しちゃう。
最後に、論争でわかったことがある。黒い白鳥という事象がだいたいが、自分のお粗末な頭ではまったくわかりもしない手法を振りまわし、でっち上げた結果にもとづいて、頭の中に間違った自信を生やした連中が起こすものだ。(中略)仕事で確率論の手法を使う連中は、ほとんど誰も、自分が何をいっているのかわかってない。(中略)ダン・ゴールドスタインと私で、確率論的な枠組みを使って仕事をするプロを対象に実験を行ったのである。彼らの97%が基本的な質問に正しく答えられなかったので、私は大きなショックを受けた。続いてエレム・ソイエルとロビン・ホグワースが、その点を取り上げて計量経済学という穢れた分野(科学的な検証が持ち込まれたらすぐにでも消えてなくなる分野である)に当てはめた。やっぱり、ほとんどの研究者は自分が使っている枠組みをまるでわかっていないのが判明した。
「強さと脆さ」を酷評している経済学者の方のブログを拝見したが、タレブの「判断不能性定理」についての指摘だけでも衝撃を受けなかっただろうか?ファイナンスを対象にする経済学、金融工学なら、その基盤を揺るがす話しだと思うのだが。
「判断不能性定理」とは、手に入るごく少数のサンプルからは、全体の分布がわからないし、全体の分布がわからなければサンプルからはなにも言えないという事実だ。統計を少しでもかじった人にはよくわかる。物理実験や、認知心理学の実験などでは、経路に依存する部分が少ないために、結果がどのような分布の中にいるかがわかる。だから統計的な推計ができ、確率が計算できる。しかし、社会的、経済的な「複雑」な事象については、再現性が薄く、結果として見えているデータサンプルがどのような分布になっているかわからない。タレブによれば、経済的な動向を予測するためには正規分布も、べき分布も「使えない」のだそうだ。
「強さと脆さ」読了 - HPO:機密日誌
分野は違うが権丈善一教授がよく似た話しを日本の経済学者たちに対して書いていらっしゃる。
意図的に刺激的な部分を引用する。なんやかやいうまえに権丈先生の迫力あるこの論文を通読することをお勧めしておく。
経済学、特に人びとの生活に影響を与える「政策」領域と密着する経済学分野を学ぶということは、経済学のテキストを読んで、計量経済学を学び、そしてデータをコンピューターにダウンロードして加工して、「はい、論文ができました」というものでは決してない。
(中略)
自称「経済学者」は、不思議と制度を知らない、歴史を知らない、さらに言えば面白いほど政治も分かっていない。ゆえに、問いもトンチンカンならば答えもトンチンカン。
この後、権丈先生は、専門の経済学者さんたちが、年金問題を考える上で必須である「両院合同会議議事録」の存在を誰も知らなかったとか、学会で議論になった年金シミュレーションの大前提が認識されていなかった問題について触れている。
ケインズが「彼(経済学者)はある程度まで、数学者で、歴史家で、政治家で、哲学者でなければならない。彼は記号も分かるし、言葉も話せなければならない。」と言っていたのだそうだ。ケインズが「彼」に要求するリストはまだまだ続く。どうも実務に携わっているものには常識で、自明なことでも経済学者にかかるとそうではないらしい。繰り返すが、経済学とは、「経世済民」、「世を経(ただ)し、民を済(すく)う」学問でなければならない。タレブの指摘も、権丈先生の指摘も、政策に影響を持っている経済学者でさえ「ロジックの通った学問をやっていればいいんだ、主流の経済学の方法論に則ってやっていればいいんだ」という意識の域を出ていないことを示唆している気がして、背筋が寒い。
同様にして、経営やイノベーションの分野から言えば、生産性がいかにリーダーや組織によって高められるかとか、経済学あるいは経済政策によってイノベーションが進められたことはないこととか、書きたいことはあるが夜も更けたのでそろそろ寝る。
■参照
それにしても、Zenbakって強力。私自身が忘れてしまったような関連エントリーまでひろってくれている。それでも、このエントリーだけはちゃんと参照リンクにいれておこう。