HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

無宗教の米人の墓

結婚と宗教と墓の問題は難しい。

知人のアメリカ人のお母様が亡くなられた。キリスト教徒でなかったらしい。お墓は作らず、火葬にして一番好きだった場所で散骨してくれとの遺言だったそうだ。びっくりしたのは、数年前になくなったお母様の夫も火葬して、その遺骨をお墓ではなくブロンズ像に入れて自宅においていたのだそうだ。

何年か前に香港に行った時に、現地でお世話になった方のお墓についての話をうかがった。その方とご主人は、中国人同士だが片方が朝鮮系だという。墓をどうするかが、双方のご両親とも意見があわず、将来どちらが先に亡くなってもやはり火葬にして、川に流すのだとおっしゃっていた。

夫婦になれば自然と同じ墓に入るものだと思っていた。そして、子どもがいれば墓を守ってくれるものだと疑問なく思っていた。グローバル化した現在、住むのもグローバル、宗教もグローバルになり、墓を世代を超えて守っていくのは難しい。




実は埋葬の仕方よりも感動したのは、そのお母様のお亡くなられ方だった。詳しくは書けないが、自分の意思に従ってご自宅で亡くなられた。亡くなられる前後のご家族のケアはほんとうにキューブラー=ロスのインタビューを思わせるような物語であった。ご自宅で医師の立会なく亡くなられたにもかかわらず、お話によると検視もなく火葬にふされたそうだ。不思議なのは、火葬にはご家族は立ち会わないのが米国では普通だということだった。日本のように親族が納棺から、火葬、そして、骨壷に収めるまでに立会、執り行うことが普通なのは、生と死が連続しているからなのかなと思った。


■参照

この話を、母上をなくしたばかりの米国在住の友人に話したところ「死んでも介入するお役所仕事」のひどさとして、次のような実話を披露してくれました。彼曰く :

死んでも介入するお役所仕事 - 北村隆司 : アゴラ - ライブドアブログ