旅行の支度をしないといけないのに、うだうだしている。考えてみれば、池谷先生の恋愛論についてまだつぶやいても、書いてもいなかったなと。
- 作者: 池谷裕二
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2013/09/05
- メディア: 新書
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と、軽い気持ちで書き始めた。引用をするのに、他に同じ事を書いていらっしゃるブログはないか検索して出てきたのが、佐藤修さんという方のこのブログ。
ちょっと長いのですが、『単純な脳、複雑な「私」』から引用させてもらいます(一部要約しています)。
高度な知性がある人間は、できる限り優秀な子孫を残したいと、あれこれ思いを巡らせる。そこから、より秀でたパートナーを見つけなきゃいけないという精神的な願望が生まれる。しかし、地球上には多くの人がいるので、最良のパートナーだと決めるのは不可能。そこで、次善の策として、身近の「まあまあよい人」を選んで妥協しないといけないわけです。
ただ、それだけだと、知的生物ヒトとしては、どこか納得できない気がする。そこで登場するのが恋愛感情です。「この人でいいんだ」と無理矢理に納得するために、脳に備わっているのが恋愛感情。
恋愛はテグメンタ(快感を生み出す脳の部位)を活性化しますから、心を盲目にしてくれる。すると目の前の恋人しか見えなくなる。ほかの人なんかもうどうでもいい、「私はこの人が好きなんだ」「この人こそが選ばれし人だ」なんていう奇妙な妄想が生まれるわけです。まさに「恋は盲目」というわけです。
ちょっと笑えますが、奇妙に説得力もあります。(中略)
さて挽歌気分に戻って、私たちの恋も愛も、盲目の産物なのでしょうか。
■節子への挽歌1593:「恋愛は脳からの魔法のプレゼント」: CWS private
もちろんそうなのです。
元気だった頃、節子はよく言いました。
「言いました」?過去形?
思わず過去のエントリーを検索して読ませて頂いた。奥様は何年も前に亡くなられたと知った。お葬式でのごあいさつもエントリーにされていた。
最愛のパートナーを失って生きていくのは、灯りが消えてしまったまま夜道を歩くようなものだ。なんのために生きていくのかを失うことだ。視界から色が失われ、食事から味がなくなる。
佐藤さんは、カウンセリンググループをやっていらっしゃるようだ。
どこかでご縁があるかもしれない。