HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

安売りは結局商売じゃないな

自分が意識しているせいか、「未曾有の不況」のせいか、「安さ日本一!」、「どこよりも安い!」見たいな看板や広告が目に付く。結局、安さというのは相対でしかない。安さという合理性は、更なる安さに必ず敗れる。ネット上のさまざまなサービスがそうであるように、ゆきつくところは無料にするしかない。安さの上に安さを競うことは、自分の価値を切り下げることにほかならない。

グーグルやらテレビCMのよう「一見無料」ですら、さらなる「無料」との競い合いになっている。つまりは、より多くの視聴率だのアクセスだのの争いのために、「無料」の上に太陽のような無償贈与とみまごうばかりのサービスがついてくる。無限の密度にもいろいろあるように、無料の密度にもいろいろある。

本来信頼とか付加価値とかそのものだけではなく、背景やら、由来やら、差別化し、値段を巧妙にあげていく仕組みが日本にはあった。茶の湯も、数奇屋も、陶器もみなそう。はては俳諧師という文学的なイベントのコーディネーターが江戸時代にすでに専門家として家をなしていたわけだからすごい。

中国の経済が伸び続けているのは、彼らはまだ安いことに価値を見出すだけでなく、高いことにも価値をおいているからではないだろうか?中国のような低信頼社会、商品にもサービスにもだまされてばかりという状態では、人々はより信頼性の高いサービスや商品に喜んでお金を払う。いくつかエピソードがあるのだが、それはまた別の機会にする。とにかく、たとえば日本製の高級品には金を惜しまない中国人は実は多い。

対して、日本は無料のものでも、クレームをつけられるほど信頼性が高い。すべてが完全にコントロールされ、安全も信頼もそれこそ湯水のごとくそこら辺にありふれている。繰り返すが、ただで配っているものでもクレームをつけ、企業や役所がそれで頭を下げる社会では、品質や信頼による価格の差は意味がなくなる。

かくして日本では信頼性が高いがゆえにデフレから脱却することができず、企業家精神が育たない。逆に、信頼性が低い社会であるからこそ、インフレ傾向でものの価格が上昇し、経済も成長し、企業家精神は街中にみちあふれるのが中国なのではないだろうか?

とにかく、不況だからといって安売りしかできないのでは、商売じゃない。

■不合理ゆえに経済である

恐らくは「見栄」と「嫉妬」という判断軸を導入することで、ネットワーク化した人の群れに見られる、「経済的に不合理な行動」というものが、説明できるような気がする。

見栄と嫉妬の行動学 - レジデント初期研修用資料