最近、まわりでなにがエロでなにがセクスィかという議論がかまびすしい。なんでも、私がすることはエロで、沢村一樹という人がするとセクスィなのだそうだ。
セクスィかエロかは、女は感覚でわかる、わからないかが基準だという。男にはわからない。
例えば、女にとって男の声は重要。男の声は、女にとって自然に理解できる聴覚から入る。だから、聴覚による女の劣情を刺激する声はセクスィ。女にはわかりにくい視覚優位の男の劣情はエロになる。感覚知覚心理学主専攻(笑)だった私から言わせてもらえば、実際、女性は聴覚に敏感で、男性は視覚に敏感だ。性的な刺激に対する感覚も同様なのだろう。右脳か、左脳かで音に対する感覚が違うのは有名なのだが、不思議なことに、右脳は実は左耳に直結している。だから、左側からアプローチされると、性的な魅力を感じやすいらしい。
いや、ま、それは余談で。
この女元増田さんのさびしさって男には本質的にわからない。性的なことがほしいのではないと思う。彼女は、純粋に男に求めてほしいのだ。求められることが認知欲求の基本なのだ。存在理由なのだ。女にとって、お洋服を買うのも、お化粧をするのも、女同士で男の品定めするのも、男から求めてほしいからじゃないかってずいぶん昔から考えていた。私が社会人に初めてなった四半世紀前は、女性に「君はセクシーだね」というのはタブーであった。もし言おうものなら、「あんたは私を軽蔑しているの?」と攻められた。いまは性的な魅力を発散している女性に「セクシーだね」と言うことは、「あなたは魅力的だ。あなたに惹かれているよ。」という告白であり、女性にとってうれしい発言とされることが多いのではないか。女が自分の求めていることに自覚的になったと言えまいか。
ほんとうはこんなふざけたエントリーは没にしようと思っていた。しかし、この2chのはなしを読んで自分の中のどうしようもないものに自覚的になり、やっぱり続きを書くことにした。この2chの話しはどこにでもある話しだ。男が女を満足させられなくて他の男に走る。そして、崩壊していく。いつでも、どこにでも、繰り返させる話なのだ。
そもそも、エロかセクスィか、求めれるのか無関心か。男と女で越え難い感覚と価値観の差があるように思えてならない。それでも、男は女に惹かれ、女は男に惹かれる。女たちは、「男はわかってない」という。「男は、私たちがしてほしいことを一切やってくれない」と。「俺だって苦労してんだぜ。」といいたくなる。それでも、女から悩みや欲求を突きつけられれば、それを実現したいと自然に思うのが男なのだ。どれだけ一般化してしまっていいのか分からないが、男は問題を突きつけられるとそれを解決せずにはいられない。だが、どれだけ努力しても、男と女には根本的な感覚の差があって、決して男は女を満足させられない。
女は自分を必要としてもらうために男が必要だ。男はそもそも女がいなければ生きていけないし、女は男を満足させられるすべを知っている、...たぶん先天的に。
結論にはならないが、書かずにはいられなかった。
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■求められたさと満足させたさの倒錯
やっぱり、このたぐいの話は抑圧しちゃいけないよね。日本の男女関係ってごくごくおおらかだったと思うんだけどね。
私が好意を寄せる女性は、性行為を拒否しなければならない。
ゲームなどの凌辱表現について 女性に読んでおいて欲しい話 - カオスの縁 ――無節操日記