なんかポジショントークになっちゃいそうだけど、ここまで来ると書かないといけない。
「平成維新」が出たころ私は不動産開発の会社にいた。土地の高騰が深刻な問題として取り上げられるなか、十分に都内に高層マンションが立ち並び、郊外にショッピングセンターが広がり、山手線の内側が国際金融センターになれば、誰もがみな幸せになれるのだと信じていた。
- 作者: 大前研一
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1989/06
- メディア: 単行本
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20年がたち、実際に東京の景色は変わった。ビル風で困るほど超高層のマンション群がウォーターフロントを埋め、巨大ショッピングセンターは街の様相を変え、山手線の駅前にそそり立つオフィスビルは意匠を競いながらも床が過剰になっている。物理的には平成維新で構想されたままの姿が現実化したと言っていい。しかし、それでみんな幸せになったのか?すくなくとも、私の身近な人々がすごく幸せになったとは思えない。なぜか?
お金は便利なものであり、世界をフラットにする。それは間違いない。マンションや、ショッピングセンターや、オフィスビルはお金を増殖させるのには役に立った。しかし、量的には驚異的に増殖しても人々の生活を質的には変えなかった。
実は幸せとは「量」ではなく「質」なのだ。質を変化させるには確かにお金という量を投入することが必要だ。「量」を変じて、自分だけの家族や、自分のひそやかな楽しみという「質」に代えてあげて、初めて幸せが実感できる。ああ、これこそが人間の生活なのだと。
私は都落ちした人間だ。都落ちすれば、経済的にはめぐまれない。それでも、私はこの10年あまりで「街」が「質」を変える様を見た。「質」が幸せを産むのだとこころから実感した。お金という経済活動が、街という質を変えながら、人と人とのやりとりにつながり、ゆるやかな絆を産み、人々の共通の幸せをつくることができるのだ。私は一人では幸せにはなれない。幸せではない。
切り捨てるも何も、そもそも中央の意思だけで成り立っているだけの地方なら未来はない。それでも、ここのところ、「中央だけに経済投資、政策投資を集中すべきだ」という議論があまりにも目につく。
20世紀までの国家のモデルだった主権国家(領土国家)システムはもう時代にあわなくなり、これからは都市国家の時代です。
人口の都市集中が必要だ - 池田信夫 : アゴラ - ライブドアブログ
日本の人口はインフラの整備された都市部に集中させ、地方は自然に戻せばいいのです。
この国を作り変えよう 日本を再生させる10の提言 (講談社BIZ) - はてなキーワード
あるいは、このお役人。
この前ある中央な方のインタビューを読んで本当に悲しかった。「景気対策でいくら田舎にお金を割り振ってやっても、景気浮上の効果がない。中央にお金をそそぐしかない。」という内容だった。ハイエクの本の角に頭をぶつてけて死んでしまえと言いたい。
ソーシャルキャピタル不況、あるいは日本の没落 - HPO:機密日誌
都市の集中化を図った国で人々がほんとうに幸せになったのか?量を量のままにする思考であなたは幸せになれるのか?「平成維新」が出版されたころ、あれだけみんなのあこがれであった合理的で、自由で、金融工学が発達した米国が、20年を没落しつつあるのを見ても、まだ経済の増殖だけが幸せだというのか?
■日本の衰退
いや、まさに。それこそが、べき乗則の矛盾であり、フラクタル経済が一番自然なのだということ。
つまりわれわれは「不自然で不平等な市民社会が、物質的な富を実現する上ではもっとも効率的だ」という居心地の悪いパラドックスに直面しているのだ。
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この矛盾をどう解決するかが、幸せに日本の衰退、停滞を迎えるかということなのだろう。