HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

いわゆる富裕層と貧困層の間で時間の余裕が逆になっている件

Danさんのスピーチを見て結構しゃれじゃないなと思った。

考えてみると、私の周りの他人から見たら明らかに富裕層な方々はみんな忙しげ。「今年は月に1度しか休みがとれなかったよ」とか、「つきあいでさ、平日は夜中まで仕事、土日もつきあいゴルフ、家族といっしょにいる時間なんてないさ」とかいう人が多い。忙しいことを自慢にしている感じがするほど。生活に余裕のある本当に本当の富裕層な方というのは、どこか違う場所に生息していらっしゃるのだろうか?というか、誰もが自分が富裕であるのは自分が才能があって、努力しているからだと証明しないとならないというフォビア(脅迫症)にかかっているよだ。

逆に、「貧困」だと自他ともに認めてしまう人達には案外時間があるような気がしてならない。「泥のように」働かないと本当に生きていけない人たちってあまり知らない。ゲームとかみんな大好きなようで、電車でフリーターっぽい格好のおにいさんがPSPを一心不乱に遊んでいたりするのを見るし、休日は一日ゲームとかニコ動を一番中見てるとかって話しを聞く。私はほとんど家で地上波テレビ番組を見る余裕などないが、テレビの話題も詳しい。ずいぶん余裕のある生活を十分にしているように私には思えてしまう。

19世紀まで、いや、第一次大戦あたりまで、富裕層の方って働く必要がなかったそうだ。ほんの出足の数十ページしか読んでないけど、イギリス文学のある小説の中で「私は働いたことがありません」と婚約者の母親に言うシーンがやけに印象的だった*1

その頃までは、お金とは本来時間と兌換であったはず。いまはお金の所有と時間の余裕が別れてしまった。すでにお金の額は時間的余裕を示すものではないのだろう。お金を持っている人ほどお金の運用にこだわり、お金を運用する限りタレブではないが、お金を大きく失う可能性を常に持っているからだ。

まだもちょっと考えなければいけない気がするが、ここんとこちょっとリアル側であまり余裕がないので、今晩はこの辺で・・・

■追記

id:morutanさんから教えていただいた。

有閑階級にとって生産的な賎労は不名誉の象徴となり、一切の生産的労働からの免除と絶縁と、それを誇示する衒示的消費が要求される。

http://homepage.mac.com/naoyuki_hashimoto/iblog/C1310380191/E1625311969/index.html

*1:タイトルが思い出せない!「窓」がついた名前だった、と。