HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

携帯電話は生活を豊かにしたか?

「携帯電話」と打ったとたん私のうちでなにかが動いた。思い出せもせず、ただぐぐってみて、ああ、そうだったと発見した。携帯電話と時を同時に論じたくなるのは、理由があった。

id:finalventさんのこのエントリーから、5年もたつのに道元は私にはまだ歯が立たない。いつか有時を行動できる自分になりたいとは、今も思っている。

さて、携帯電話と人生の豊かさの話をしよう。

id:morutanさんとの話の中で、「生活密度」という言葉が出てきた。一生のうちで一個の動物にゆるされるエネルギーは一定なのだと、本川達雄先生が書いていらした。心拍で測れば、象の一生もネズミの一生も等しいのだと。

ゾウの時間 ネズミの時間―サイズの生物学 (中公新書)

ゾウの時間 ネズミの時間―サイズの生物学 (中公新書)

エネルギーの代謝からみれば、動物の中で近代以降のヒトだけが例外的に寿命が長く、時間あたりの密度が高いのだと。象の時間、ネズミの時間は、心拍数で測った。仮に、コミュニケーションの数で物理時間をわった生活時間を、生活密度と定義しよう。確かに、携帯電話は生活密度を高くした。普通の言葉でいえば、携帯電話は、飛躍的にヒトをおしゃべりにした。

しかし、それらのおしゃべりはほんとうに必要なコミュニケーションなのだろうか?固定電話の黒電話で、親の目を気にしながらやっと伝えたひとことふたことの方が思い出に残っているのではないか?一生懸命きれいに書こうとした手紙の手書き文字の方が長く文箱に留めてもらえたのではないか?歩いて、歩いて、一晩中あるいて、やっとつたえばひとことが相手を動かすのではないか?

一体、携帯電話は、おしゃべりの量を増やしはしても、ヒトの言葉と生活を豊かにしたのか?

携帯電話だけではない。テレビや、ネットや、ファックスや、メールや、車やコンテナ輸送などは果たして、人類の進歩にほんとうに寄与しているのか?それとも、地球という物理空間のエコロジーさえ管理できずにもてあましているのに、情報空間という無限の論理空間をも、「産めよ、増えよ」と独占しようとしているのか?

ああ、そうか、その答えもid:morutanさんが教えてくれているのだね。ありがとう!

人口学的には、男性の識字率が50%を超えると、その社会全体の不安定性が増して攻撃性を帯びる。さらに何十年か遅れて女性の識字率が50%を超えると、やがて出生率が2付近まで低下して、社会全体が落ち着きを取り戻し、攻撃性・好戦性は有意に低下してくる。

戦国時代は寒冷化による食料争奪サバイバル戦争だった:日経ビジネスオンライン

識字率ですら、出生率を低くする力があるのであれば、まして携帯電話だ。情報密度、生活密度が高くなればなるほど、ネズミと同じで出生数は減ってくと仮定しよう。あるいは、長期的に見れば戦争を減らすと仮定しよう。とすれば、結果的には携帯の全世界への普及が地球を救うことになる。そして、全人類が質的な進化に至る時まで、種としての寿命を延命できるのかもしれない。