なんかまるで昨日のtwitterでのつぶやきをそのまま文章にしてくださったような感じがする。id:marco11さんのつっこみまで含めて。
これは人間が社会を形成するようになって以来のテーマではあるし、これまで様々な社会的工夫がなされてきた訳で、問題が顕在化しているとすれば過渡期故のことだろう。
承認欲求って昔から政治権力や宗教の源泉だよ - 雑種路線でいこう
なんか今朝からめまいがするので、省力化で昨日のログの自分の発言部分だけをぬきがき、加筆してトラバさせていただく。
人間の社会的な欲求って、ネオテニーであることからくる必然的な生存の条件であった、と。ヒトの子は生まれた時から親に育ててもらわないと生きていけない。自分で栄養をとりに乳にむさぼりつくことすらできない無力な状態で生まれれるから、親から認識されつづけていないと生存することができない。
この無力さが逆説的にヒトのうちに社会性を不可欠の因子とした。逆にいえば、「私はひとりでもいきていけます。誰に認めてもらわなくともよいです。」という因子は淘汰されやすい。人工的に作られた環境でしか生きていけなくなるにつれ、この傾向はますます加速していくのだろう。
近代のヒトは技術革新という「未来の夢」の矛盾を考えていた。神のご加護による過去の栄光を振り棄ててしまった近代以降、ヒトの群れが前進し続けるためには「未来の夢」という力が必要であった。矛盾するのは、「未来の夢」という駆動力が不可欠であるにもかかわらず、技術による社会の革新が続いている限り、社会的な安定はありえない。なぜなら生活の基盤自体が常に変化しつづけるから。
社会的な変化が続く限り、どの因子が次の社会で必要とされるかわからない。どのヒトが繁殖すべきか、どのヒトがリーダーを担うべきか定まらない。猿山のサルの方がリーダーが決めやすかった。
人が未来を信じ、常に技術革新と社会的な革新が連続すると信じていれば擬似的な安定は得られるかもしれない。故A.C.クラークの功罪ははるか未来まで技術革新は続くのだと人類に信じさせたことだ。
いまの日本の絶望状態って実は技術革新が連続ではないということに気づいてしまったからではないだろうか?もはや最新の車も、PCも、ウェブサービスも、なにものをも我々をしあわせにはしてくれないとわかってしまった。
ああ、もう寝ないと...
ひとがあたたかさをここちよくおもうのは、それがひとのはだのあたたかさをおもいださせるから。
割れちゃった卵、食べちゃったおかし、みんなもとへはもどらない。
「わたくしにはたりないところがあります。」となぜイザナミは夫に言ったのか?なぜひるこが生まれてしまったのか?どのヒトの子にとっても親のセックスという始原からはじまることを自覚しなければならない。ひるこはヒトの子の無力さの象徴ではなかったのか?
ああ、ある少女を思い出してしまいます。父親の関心を切に求めたのにえられなかった少女のことを。
今日たまたま「トーマの心臓」の話をしていました。
あ、ほんとうに寝ないと...おやすみなさいませ。
Twitter / hidekih: 人間の社会的な欲求って、ネオテニーであることからくる必然的な ...