HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

思春期とは身体と心のアンバランス

先日、少々品位を書くエントリーをおこした。反省。

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この時に若干頭にあったのが、割りと身近のローティーンの子供たち。彼、彼女達の実に不満げな表情を見るたびに、自分の身体の中で高まる欲求と社会的、能力的地位とがついていっていないのだと感じる。いわゆる身体と心の問題。身体はどんどん成長し、成熟した器官からの刺激に、むらむらとして欲求が生まれてくる。しかし、どうそれを満たしたらよいかわからない。

彼らの生育歴の中では、十分に食を与えられ、時間も余裕があったので、これまで根本的な欲求不満、欲求を充足できない体験がない。初めて男/女という他者がいないと充足されない欲求にどうしたらよいのかわからずに怒りだったり、直接に異性とつきあおうとしたり、まったく別の不法とも言える行為に走ったりする。しかし、社会的な地位からいってもそのまま異性と付き合うこと、ましては、自分の欲求を異性によって満たすこともできない。人によってはアパシーというか、無気力に落ちることもあるようだ。まあ、これをうまくスポーツや、勉強、自分の興味を持つ分野での努力に昇華できればよいのだろうが、誰でもそうできるわけではない。

ちなみに、一切、自分はそうでなかったというつもりはない。この欲求不満には十分自分も悩まされたので、ここに書ける。自分との比較で言えば、小学校のうちに自慰は覚えた。中学くらいで少年院に収攬され、独房に入れられると「自慰を繰り返して消耗していく」みたいな記述に触れて、「ああ、自慰って別に自分に特別な行為じゃないんだ」と思った記憶がある。まあ、とは言え「自慰してもいいだよ」みたいな話しもできないし、「明るく、元気に、素直に男女交際がんばれ!」とも言えない。「未来にはちゃんと自分の女/男を得ることができるんだよ、それは幸せなことなんだよ」とも言えない。どうしたらよいものかと。

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むずいな。

だからこそ、イニシエーションって大事なのかなと。

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