HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

「東京奇譚集」を読んだ

こころを強く揺さぶられた。偶然でしかないはずなのに偶然ではないことが人生には幾つかある。この本との出会いそのものがそうだ。

それは祈りのようなものだ。聞き届けられるのか、聞き届けられたのかすら分からないが、祈らずにいられない。

あるいは賭けといっていい。ほとんどあたらないとわかっていても馬券は買わなければ当選することもない。私は馬券を買ったことはないが、多くの賭けをしてきたしこれからもするだろう。いや、それは私が日常で行う選択のようなそんなものでない賭けなのだ。

そしてその体験はあなたを捉えて死ぬまで放すことはない。見た目は老人になってもきっとその記憶はいつまでも鮮明なままだ。逆にその賭けとも祈りともつかない体験を手放す時は、私が私でなくなる時なのだろう。

東京奇譚集

東京奇譚集

東京奇譚集 (新潮文庫)

東京奇譚集 (新潮文庫)

■携帯という距離の親密さ

本書つながりではてな村の方々の「日記」に書かれた日常に触れた。どうもPCのディスプレイで読むのと携帯の小さな画面で読むのと親しさが違う。みんな生きてるんだよね、感じてるんだよね、うれしいです!みたいな感じがぐいぐい伝わって来る。それだけで、あぁ、私は孤独ではないんだと思える。