HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

「1Q84 BOOK2 後編」

前編と同じく電車の中で読了。前編の時とは真逆でBOOK3前編後編が手元にあるのに読み進めないほどショックを受けている。

1Q84 BOOK2〈7月‐9月〉後編 (新潮文庫)

1Q84 BOOK2〈7月‐9月〉後編 (新潮文庫)




結局、BOOK3を読み始めた。三節まで読んでこれは反則だと思った。

BOOK2を読み終えた時点で、村上春樹の当初の意図では完結していると思っていた。

iPadしか手元にないんで、うまく書けない。絶対にBluetoothのキーボードが必要だ。ああ、あとATOKもね。

以下、ネタバレを気にせずかけるだけ書く。かつ、BOOK2で完結していると仮定してでの「感想」だ。

この物語はやはりELPの"Knife Edge"なのだ。現代における「王国」の正史なのだ。

近親相姦はエジプトの昔から王家にのみ許される。教団のリーダーである深田保は、自分の娘、ふかえりを巫女として犯すことにより統治の正統性を得た。同時に特殊な能力とカリスマを得た。

天吾はその名の示すとおり、救世主だ。父以外の男が母の乳を吸うというショッキングなシーンの受胎告知により産まれた。本当の父が誰だか最後まで知らされない。産まれたときから、次代の王として運命づけられている。貴種流離譚の常として自分一人の力で困難な少年時代を生き延びなければならなかった。先代の王=リーダーの娘を奪い、青豆というメッセンジャーの力で先代の王を殺害するという試練を経て、王位を確定させた。

青豆は天吾から見た永遠の処女性が付与された宿命の妃だ。新しい王の天吾ですら青豆と永遠に交わることができない。贖罪のいけにえの羊として儀式のあとに、王位の継承に捧げられなくてはならない。青豆=「青いままの豆」とは、時代を産まない処女のままの運命を神に捧げられることを意味する。

小説の中の神話的な構造により王位には超越性が不可欠であることが示される。古代ではなく、現代においてもだ。ちょうど、今朝エジプトのムバラク元大統領が終身刑になったと報道されていた。「1Q84」の中で語られるように、現代においても王は死ななければならないのだ。

あなたは自分が誰かを理解していられるか、
あなたが誰なのかを理解したときにも

シンフォニエッタ=ELP ナイフ・エッジ=1Q84 - HPO:機密日誌

リーダーもこの事実を理解していた。王国をもたらすためにと唱えながら、青豆はリーダーを殺した。そして、リーダーを殺した瞬間に「王国がもたらされた」と直感する。主義主張という現代の宗教においても狂気と暴力は免れない。ペーパームーンの下の「劇場の王」にすぎなくとも、正統性の周囲には暴力が絶えないのだ。

この小説は、わざわざ最後に「本作品には、1984年当時にはなかった語句も使われています。」と断らなければ成らなかったほど、歴史的時代背景として「1984年」には依存していない。村上春樹はこの小説に背負わさなければいけない運命とは、「統治の正統性」と「統治の正統性が要求する狂気と暴力とレイプ」であることを十二分に知っていた。

例えば、本作品でほんの少し語られる満州における正統性、それを守るためのソ連との戦い。それ続く太平洋戦争と、守られねばならなかった日本の国体。統治の正統性に必要とされる超越性の穴をふさぐためには莫大な暴力がふるわれなければならない。しかし、清朝末期から1950年に「中華人民共和国」という日本語の名前の国が成立するまでの無政府状態もまた、莫大な殺人を含む暴力によってしか秩序をもたらすことはできなかった。統治とは、何というデッドエンドだろう。

平和とは、次の王朝が書き上げる正史の中にしかないのかもしれない。

なにを荒唐無稽なことをと憤慨される向きもあるかもしれない。この「1Q84」という物語は新しい王により書かれた正史として位置づけられることに留意されたい。

私は、ここのところ1945年から1950年まで終わらなかった「戦争」と、その後の各国における歴史書き換えの問題を調べてきた。日本であろうと、他のいかなる国であろうと現在の政権のために正史は書かれる。この物語はすでに、天吾とふかえりの悪意悪行を覆い隠すための歴史書き換えが含まれていると解すべきだ。

ちなみに、リトルピープルとは、権力と呪力が結びついた時に産まれる不可思議としかいいようのない力の象徴だ。あまり結びつけてくはないが、山本七平の「空気」ってやつに近い。権力者側でも制御不能な力であり、それが現代日本においてごく局所的に発揮されることがある。

本書を書く動機となったはずの地下鉄サリン事件菊地直子容疑者が奇しくも今晩身柄確保されたことにシンクロニシティを感じる。