HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

台風謹慎の間にガンダム・スターダストメモリーを観た ネタバレ版

本当にネットフリックス便利。ガンダムとキーワードを入れただけでいくつも作品が出てくる。私は少年時代の学校の関係で初回テレビ版のガンダムまではテレビにかじりついて観ていたものの、それからずっとガンダムシリーズと離れていた。断片的に「Z」の映画三部作、ユニコーンガンダム(以下UC)、「シャアの逆襲」(以下逆襲)を観ていたが、「正史」*1としてこれらの作品が気持ちの上でどうしてもつながらなかった。特に「逆襲のシャア」がとても唐突に感じられていた。それがスターダストメモリー(以下星屑という)を観てようやくつながった。

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とにかく台風で外に出れないので、朝から晩まで星屑を観た。結論から言えばガンダムの「正史」とは「日本がアメリカを赦す日」なのだと気づいた。

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昭和40年代生まれでテレビでガンダムにつながるSFチックなアニメが勃興したのは「ガッチャマン」だったと記憶する。「ガッチャマン」が昭和47年、「宇宙戦艦ヤマト」が昭和49年、そして「ガンダム」が昭和54年。精神的にも、興行的にも、社会的にもつながりがある。そして、ガッチャマンの前にタツノコプロが作成したのが太平洋戦争を反省する立場から描かれた「決断」だ。この三作には直接間接、太平洋戦争の戦後日本の精神史が背景にある。昭和40年代はまだ多くの日本人は国民全員参加で戦った太平洋戦争の敗戦の衝撃をどう精神的に受け止めるべきか根底で悩んでいた。

アニメンタリー 決断』(アニメンタリー けつだん)は、太平洋戦争を題材にした竜の子プロダクション制作のテレビアニメである。1971年4月3日から同年9月25日までの間、毎週土曜日19時30分 - 20時に日本テレビ系で全26回放映された[1]。

アニメンタリー 決断 - Wikipedia

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宇宙戦艦ヤマトにも太平洋戦争の敗戦へのやるかたなき松本零士や、西崎義展ら関係者の想いが込められている。敗れた戦いを海の底から決戦兵器、戦艦大和がよみがえって戦局を覆し、勝利をもたらす物語なのだから。

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私の中ではガンダムは初めて、敗戦のコンプレックスから解放された戦争と向き合う映画だと想っていた。ファーストのオープニングが「コロニー落とし」から始まるのもまさにこのアニメは「原爆=敗戦」の後から始める物語であることを繰り返し語っているように想える。しかし、星屑を見て逆襲のシャアを見て、まだファーストでは敗戦の衝撃を完全に受け止められていなかったのだと理解した。

様々な意見があるだろうが、個人的にはファースト=1年戦争、星屑=テラーズ紛争、Z=グリプス戦役、ZZ=第一次ネオ・ジオン抗争(未見)、逆襲のシャア=第二次ネオ・ジオン抗争と正史が連なっている。「コロニー落とし」とその類型が大量殺戮兵器=原爆なのだとすれば、ファーストが原爆以降の戦争を描いているのにも関わらず、星屑ではコロニー落としが決行される。Zにおいては三つ巴の混戦の中、アクシズ落とし、コロニーレーザーが炸裂する。ここまでの悶々たる「敗戦」の反芻の最後に、逆襲において初めてZでは完全には決行されなかったアクシズ落とし=大量殺戮兵器が完全に阻止される。シャアとアムロというガンダムシリーズを彩る主要登場人物の犠牲によってだった。星屑を見て、ああ、このシリーズは大量殺戮兵器を阻止するところに敗戦を受け止め兼ねてきた日本人の意識の変化を示しているのだと理解した。

ガンダムの中で、これは旧日本軍のオマージュなんだなと想ったのは連邦軍内部でのしごきだ。平気で人を殴る、暴言を吐くなどは昭和40年代の戦中、戦後まもなくの人たちが社会の主要な役職を占めていた日本では日常茶飯事だった。宇宙にあがっても、日本軍そのものの体質が連邦軍に受け継がれいるなとは以前から想っていた。そもそも制服からして倒錯があるのは、連邦側が米軍の軍服であり、ジオン側がドイツ軍服のところだ。星屑が描いているのは、ヤマトが描いたような負けた戦争を覆すカタルシスではなく、誰もがベストのベストを尽くし、独創的な新兵器と最強のエースパイロットがいても、負けるものは負けるのだという戦後の冷静な認識だ。物流ではガンダム1号機の核攻撃で3分の2を失っても、連邦軍が圧倒的な戦力をもっているのに、コロニーは落ちてしまったのだ。更に、昭和の終わり頃の精神的なもやもやを抱えたままのバブル期という奇妙な高揚感と閉塞感が、Zが描く世界があった。繰り返すが、この変遷があって初めて逆襲が戦いの果てに得られるはずであった正統性コンプレックスの裏返しとしての「赦し」が理解できる。

ちょっとまとまらない文章になってしまった。改めてトライしたい。まあ、21世紀もまもなく中盤に達しようといういま、まだこんなことを書いている自分自身が敗戦コンプレックスから一歩も抜け出れていないのだと。富野由悠季監督はもうとうに卒業しているのだろうな。

*1:ちなみに、少し前に初めてF91も観ていた。