ももちさんが、「百姓から見た戦国大名 (ちくま新書)」について書いてくださっている。
なんかうれしい。
自分では、どうもうまく感想をうまくまとめられずにいた。ももちさんは、この本の言いたいことを実に的確に表現されていると思う。
戦国大名は片務的に村(百姓)を支配していたのではなく、その関係は双務的であり、村は自らの種(イエ)的存続の為に、戦国大名と社会的な交換(契約)をし(つまり年貢での互酬である)、百姓が契約の履行ができないと大名を見切ることもありえた(つまり村を守れない大名とは契約破棄もありえた)と云う。
この辺が実は西欧流の個と国家統治システムが直接向き合う関係ではない、日本的な近代がありえたはずだし、日本なりの近代は確かに実在したのだと本書を読んで私は知った。契約を結び、その関係を充分に遵守しようというルールの広がりが日本の中に、西欧流の近代化以前に存在しえたのだ。
そして、西欧では個人が国家と向き合う近代になり、日本ではムラと国家が向きあう構造となったかの違いについてももちさんは書いている。
しかし欧米流の近代化先進国の「公」が、日本的な「公」と少し違うように見えるのは、キリスト教が贈与関係に神を持ち込んでいるからだろう
この辺が私にはよくわからない。
私の大好きな「ローマ人の物語」を読んでいると、確かにキリスト教化以前の古代ローマ人の心性と日本人の心性に、名誉を重んじるとか、ごく実用主義的だとか、共通点を見てしまう。古代ローマ帝国の後、キリスト教化された西欧は長い長い停滞の時期を経て、絶対主義国家を生み、個人を基盤とする民主主義の理念、そして近代社会構造の創建へとつなげた。この華やかな近代の西欧という歴史とキリスト教がどうつながっているのか、私にはどうも見えてこない。
また、日本は明治において間違いなくこのムラ社会を否定し、無理やりに西欧流の近代を法体系とともに輸入したのだ。私の知る限り、土地の所有についてムラ管理だったあぜ道や水路を無理に国家所有と宣言するなど、かなりの矛盾がここで生まれたのだが、それは現在に至るまで充分過去の歴史と連続性を持っていない。矛盾は矛盾のままだ。
ここに中央の歴史と地方の成り立ちの差があるような気がしてならない。中央で教えられる歴史認識が全てでは決してないのだ。
日本人でありながら、これだけムラ社会が力を持ち、入会地とか水路の管理といった共有財産を基盤とする自治の精神を持っていたことすら「百姓から見た戦国大名 (ちくま新書)」を読むまでしらなかった。
自分の足元の、本当にごく足元の歴史を知ることがとても大事だと思う。それも、書いてある歴史だけでなく、口伝えや言い伝えの歴史がとても大事なのではないだろうか?戦国時代までさかのぼらなくとも、ついこの間の歴史観ですら我々は学びなおす必要があるように私は思うのだ。
・敗北を抱きしめて HPO
私がどうしてもこだわってしまい、そこで立ち止まってしまうのは歴史の時間で教えあれる歴史以外に、自分を取り囲む人たちから口で伝えられた歴史があるからかもしれない。