HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

「法とは国家権力の行使に対するワク」

本書は、「法と法学」というタイトルを超えて、西欧の市民社会の成り立ちと日本がどのように適応しようと努力をしてきたかの法をめぐる思想史を教えてくれた。

プレップ法と法学 (弘文堂プレップ法学)

プレップ法と法学 (弘文堂プレップ法学)

私の中ではいまだに高校の「現代社会」で教えてもらった知識のワクをでることがなかったホッブスやロック、ルソー、カントらが一列に並んでくれた。その列とは、国家という絶対的な力を持った存在に対し、法に守られた市民といかにおりあいをつけるかという努力の列だ。

その結果として、私たちが日々現代社会を生きる上で杖としたい金言に凝縮している。

よく、「法律をもっと弾力的に運用しろ」などという人があるが、「あやうい哉(かな)!」と思わざるを得ない。法律を弾力的に運用するとしたら、それができるのは国家の側だけだからである。

先日、田中森一氏の言葉に触れた。

彼があやういのはこの一点だ。自分が検察時代に法すれすれで「弾力的に運用」する現場を歩いてきた。ヤメ検弁護士になって「ヤクザの守護神」と言われる。だから、「彼ら(やくざ達は)は実に人間的魅力にあふれている」と言えるのだろう。「弾力的運用ができるのは国家だけ」という観方からすれば、田中氏にとって検事時代と弁護士時代でなにも「反転」していないと断言する理由がわかる。

反転―闇社会の守護神と呼ばれて

反転―闇社会の守護神と呼ばれて

話をもとにもどせば、本書を読んでから日本国憲法を見直す気になった。外から与えられた身の丈にあわない衣だとはいえ、国家と市民との長い長い「闘争」に対するひとつの解答であるのだと受け入れる気になった。特に、近代憲法の3つの原則が日本で確立されたことの意味を感じる。

日本国憲法29条の「財産権は、これを侵してはならない」とは市民相互の命題だとおろかにも思い込んでいたが、本書を読んでこれこそが市民が国家に対して「命令」しているのだと知った。所有権を守るためには、市民ひとりひとりが仕事をして、糧を得ることが大切だ。糧を得るためには、自由な契約が必要になる。*1

経済行為に対して責任を負うためには、自分の行為がどのような結果をまねくのかという合理的な予測が必要となる。*2ここで生まれる責任のあり方の考えは実に合理的であり、納得できるものであった。結果としてこうなる。

民事責任における被害者の救済と予測可能性という二つの相反する要請について、近代市民法が原理的に採用した調整点が「過失責任の原則」である。すなわち、人が違法な行為によって他人に損害を与えたときでも、それが故意または過失に基づく場合にだけ、その損害を賠償する責任を負うことになる(民法七〇九条を見よ)。

ということで、民法七〇九条。

第709条
故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。

民法第709条 - Wikibooks

これは非常に私にとって意味のある結論だ。いつかこの言葉の延長線上に存在するごく具体的なことを書く日が来るだろう。

この後の言葉に著者の倉沢康一郎先生のお考えが結実しているように思うので、引用させていただき本エントリーを終わる。

近代以前においては、国王や殿様の勝手気ままな制裁によって、人はしばしば自分の労苦の結晶をうしない、絶望をくりかえしてきた。しかし、今や「過失責任の原則」によって法的責任を予測し、自由な契約によって財産を得て、所有権の絶対性によってそれを自分のものとすることができる。個人の経済活動の自由の法的な保護は、ここにすべての面でそろったことになる。資本の再生産による富の拡大は、一挙に加速されるであろう。
そして、その陽のあたる未来像のまさに影になるところに、富の偏在という社会問題が、暗い顔をのぞかせている。

*1:本書では、経済活動の結果としての不平等についてえんえんと書いている。経済的な強者が出ることにより自由が制約されるのではないかと。しかし、自由な経済活動によるべき分布的に資産が所有されるのが自然ではないかとさいぜん思う。生物界では個々の個体毎でとらえるとエネルギーという貨幣はべき分布するが、土地の面積あたりの生物量でいうと地球上でほぼ同じだという深淵な命題をのぞかせてくれるという。しかし、富の偏在はあとで引用させていただく倉沢先生のおっしゃるような「暗い顔」ではないのかもしれない。富の偏在に対してたとえば税金のような還元回路、公的ネットワークは社会がバランスをとるためには必要だ。しかし、大きな木が倒れ、若木がそこに生い茂るように、富の偏在もひとつの必然性があると私は考えている。いつかは、経済活動のネットワークが深化し、生態系と同じようなひとつの極のかたつに達する日がくるかもしれない。 参照 読書の日とさせていただきました - HPO:機密日誌

*2:ここでもブラックスワンがといいたくなるのだが、いまはこらえておく。ブラックスワンを導入したら、法学は相当に変わり果てざるを得なくなるだろう。