HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

共有地の悲劇と社会倫理

非線形だろうと、創発だろうと、全く個々の勝手というわけではない。

あえていえば、ひとつ下のレベルが上の構造を決めるということなので、元々人間に創発的な現象を起こすような、分子などにそもそもそなわっている性質があるのか、ないのかという議論になるのかもしれない。

某国の惨状とか、いろいろな組織の話を聴くにつけ、ますますそもそも人間にはそういう性質がないのではないかという悲観的な気持ちになる。なぜ全体として「共有地」を食い散らかしても平気でいられるのだろうか?自分だけよければよいという考え方で社会がなりたつと、組織がうまく動くと考えることができるのだろうか?

ネットの上の情報だってそうだ。非常にもろい。伝わって欲しい人には情報が伝わらず、ある意味で書き手に悪意をもった人はそこまで読むかというところまで調べる。

嗚呼。

http://b.hatena.ne.jp/hihi01/%e3%82%b3%e3%83%a2%e3%83%b3%e3%82%ba/