HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

アメリカの保守とリベラル

これは名著だ。どなたに教えていただいたか、いま失念してしまったが必ず御礼をしなければならない。こういうときネットだとちゃんと記録が残っているからいい。

アメリカの保守とリベラル (講談社学術文庫)

アメリカの保守とリベラル (講談社学術文庫)

http://standpoint1989.cocolog-nifty.com/hello/
ブログ戦線異状なし

http://shinta.tea-nifty.com/nikki/2005/03/jihyo13.html
祭りの場を面白くするネット左巻きの剽軽 [ブログ時評13]

「団藤氏のエントリのパロディとして、
敢えて煽るような書き方してるだけでは?」
???

京都駅停車中に一瞬ネット巡回。

なんか「クリシェ」とかいうタイトルで書きたい気分。

せっかくの出張なのに頭の中は半分くらいネットにつながったまま。旅に出たなら、旅のほういにいないとダメポ。雑念ばかりな私なのかもしれない。

それにしても佐々木氏の本が面白い。もうすこしこれを読んでからいろいろ書こうかな。
直感的に想ってしまうのでは、米国の20年くらい前の政治的状況といまの日本の政治状況を引き比べることはかなり可能のような気がする。カーターが外構弱腰、ワシントンの無能さをさらけだしているころに近いのではないだろうか?環境が政治的な遺伝子の発現を産み、政治的遺伝子の発現が環境を産むという相互差用において、案外同じ様な頭がひとつ、うでが二本、足が二本という形に収束する。まあ、顔に個性があるようにそれ以上の相似性ではない

ああ、そうそう四半世紀前のミルトン・フリードマンマネタリズムにリフレ政策の根っこを見てはいけないのだろうか?

ネットワークが緊密化していき、とてつもなく加速化された口コミベースで伝聞が広がるようになるのなら、どうしても紋切り型のクリシェが先行しがちだ。finalventさんのおっしゃるとおり、こういう状況では実はメタな議論はめちゃくちゃ危険なのかもしれない。政治的なクリシェを闘わせるのではなく、具体的な政策なり、今後の見方なりをこそ示すことが重要なのではないか?いまのところ、左だろうと右だろうと同じ日本の中にいるしかないという点では運命共同体なのだから。

そう、もっといってしまえば本当に主義主張で闘うべき相手はブログ界隈にはいない。ブログ界隈の住人が共同して闘うべきは他にいる。