って、以下はすでに↑の記事に組み込んだ。でも、記念に残しておこうかな。
考えてみると「歩いて、車で、スプートニクで」では、結論までのステップがぬけていることにきがついた。
指摘したかったのは、外に向かうはずだった「創発性民主主義」が内部化、過激化してまった動きが今回の「炎上」ではないかということだった。繰り返しになるが、この仮説が正しければ確実にblogでなくブログは奇形化しているといわざるをえない。
ただ、非常に生物的、創発的であるといえるのは、リベラルな方は眉をひそめる話であるが、現在の日本のブログの持つひずみの力が「異物」を排除する方向ですすんでいるといことだ。ここに私は私自信の価値観を投影しているつもりはないのだが、「炎上」を通して、ブログ界隈の方達の主張がある程度明確になったのではないか?肯定的な主張でなく、「NO!」をつきつけることによる否定的な主張ではあったが。
ここで働いている分裂した力の合成としてブログ界隈が同じようなことを繰り返しながら、さきへさきへ動いているような気がしてならない。これが螺旋へと続く。