安冨先生が、フラットな「論理空間」の中で(ということは相手の土俵の中で)「選択の自由」を否定しようとするときに、カオスの軌道の干渉という誤謬が含まれているような気がしてならない。
(経済学の)この3つの非科学性を論証した後に、市場経済学の中核の考え方のひとつ「選択の自由」という「希望」こそが、現代社会にいきる私たちを呪縛し、生きづらいものにしていると分析する。
フリーライター・石井政之の書評ブログ : 『生きるための経済学-<選択の自由>からの脱却』安冨歩(NHKブックス)
ことは、経済学の分野である「貨幣」という現象が「創発」なのか、(安冨先生の言う単なるメカニズムにすぎない)「共同現象」かという用語の問題にとどまらない。
生きるための経済学―“選択の自由”からの脱却 (NHKブックス)
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書評を書かれた石井さんのお言葉を借りれば、人の「選択の自由」という問題において「市場経済学は『相対性理論の否定』、『熱力学第二法則の否定』、『因果律の否定』という三重苦のうえに立っている」のだとすれば、当然、安冨先生もご存じの熱力学の法則に基づけば分子の一つ一つも3つの物理の根本原則と矛盾する「選択」をしていることになる。ひとつひとつの分子が右にいくか左にいくかで、物質の挙動は決まってくるのだが、全体の予測をした上で分子の運動が決定されるわけではない。
なぜか?
「時間の矢」の問題である。
時間の矢 コンピュータシミュレーション、カオス―なぜ世界は時間可逆ではないのか?
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熱力学第二法則なんて巨視的な部分だけでは経済学のドグマと同じだ。時間がなぜ一定方向に流れ続けるという問題までさかのぼって考えてみないといけない。時間の矢の問題を考えていくと、カオス軌道という問題にたどりつく。*1
プリコジンとフォードは、カオス軌道は観測できない計算の外にあると慧眼にも指摘した。カオスを受け入れれば、積木の世界での厳密な軌道など意味がないと知って除外できる。カオスから、非可逆性が無限系に限らないことが明らかになる。
カオス軌道と渡辺慧先生 - HPO:機密日誌
カオスの軌道の束と我々が直接観察しうる世界とは10の何十乗ものレベルの差があるわけだが、私の非常に不正確でおおざっぱな言葉でいってしまえば極小の分子ひとつひとつのカオス軌道はお互いに干渉しあうため、巨視的にはコップをコップ、ボールをボールとしてあつかって支障はないということだ。
ここで一つ下のレイヤー(レベル)の性質を考慮することはない。コップをコップとして扱う時に、コップの分子から立ちあがるフラクタル的な自己組織化現象は起こりえない。ボールはボールである限り、ひとでに飛びあげることはなく、コップはおいたままの場所に存在し続けるという事実は、我々の一般常識の教える通りだ。分子ひとつひとつがほかの分子との干渉を予測するために宇宙論的な計算を行わなければ、左に行くか右に行くか「選択」できないということはない。*2
経済学において自己組織化的力が働き、安冨先生の言葉を使えばシミュレーション空間などで観察される「共同現象」としての「貨幣」の複雑性が生まれることに異論はない。そこには、切り捨てるものが必ずあるからだ。しかし、個々人が経済学的な選択をおこなうためには物理学の3つのドグマを否定し去れなければならないということ「分子の選択」とは相似形だといってよいのだはないか?
ただ、昨日のr-kの話ではないが、あるいはクルーグマンの断続平衡ではないが、均衡が生じる曲線は、ロジスティック式の解のひとつがS字カーブであったり、カオスであったりするように、カタストロフィー理論的な移行の仕方をしたり、ランダムウォークというべき分布的挙動をしめしたりするというのが、ただしい経済活動の理解なのではないだろうか?
つまりは、熱力学と力学が物理学におけるレイヤー(レベル)の差があるように、心理学に属するべき問題と経済学で扱うべき問題とは、レイヤー(レベル)差があることを忘れてはならないように思う。
ただし、このことは、個人レベルの「創発」現象の偉大さ、必然さを否定するものではない。論語に選択はない、道があるだけだという安冨先生のご主張に深い感銘を受けたし、いまも道を求め続けている。
また、こうした素人議論を安冨先生がご存じないはずはない。私の読み込みが浅いだけなのかもしれない。
ただ、ちょっとだけ踏み出してしまえば、安冨先生の議論と、イーガンのSF作品で模索される「論理空間の限界」という問題が接続可能な気がしてならない。
■追記 つうか答えだな、これは
本エントリーの疑問への答えをいただいた気がする。
OR(線形計画)で求めた解が新古典派経済学の一般均衡と一致することはフォン=ノイマンによって証明され、一般均衡の解が(特殊な条件のもとでは)存在することをArrow-Debreuが1954年に証明したので、社会全体を巨大な線形計画問題として定式化すれば、その目的関数を最大化する解は一般均衡として求められることが示された。
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やはり分子の「物理学」、複雑ネットワークと「熱力学」の間をつなぐ理論に相当する考えはすでに求められていた、と。しかも、ついさっきコメントしたばかりのリニア・プログラムミングで!
「これは1930年代に「社会主義計算論争」として議論された問題である」と池田先生がおっしゃっている話もついこの間、安冨先生との関連でエントリーを起こしたばかり。
あ、んで、いま気がついたけど、「複雑系」アプローチでも安冨歩先生のおっしゃるとおり「社会主義経済計算」は「不能」であるということが正解なのではないだろうか?1世紀近く続いている論争に安冨歩先生は終止符を打ったということか?
思想は伝播する - HPO:機密日誌
池田先生のブログにトラバを送りまくっていると、おっかけだとか経済学マニアだと勘違いされそう!
池田信夫先生、ごめんなさい。