HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

木の葉の中なのか?

木の葉を隠すには木の葉の中がいい。

ブログ界隈での商用活動も、あからさまなものは一昔前なら炎上しているのを見かけた気がする。

最近、あまり聞かないような気がするのは、私だけだろうか?

どうしてもこの本のハラスメントの定義が気になる。

複雑さを生きる―やわらかな制御 (フォーラム共通知をひらく)

複雑さを生きる―やわらかな制御 (フォーラム共通知をひらく)

ハラスメントという現象は、コミュニケーションが持つ本質的な危険性を端的な形で表現する。ハラスメントは、人がコミュニケーションを実現するために形成する信念、すなわち相手も自分と同じ世界を持っているだろうという信念と、その信念を基盤として相手を理解するための理論を構成しようという努力とを悪用し、他者を操作しようとすることである。そしてさらに悪いことに、このようなハラスメントによって搾取された人間は、往々にして同じタイプの操作を別の他者に向けるようになる。まるで吸血鬼に血を吸われた人間が吸血鬼となって別の人間の血を吸うようなものである。このような複製性のゆえに、一定の条件がそろうと、ハラスメント型の悪意に満ちたコミュニケーションが社会全体に爆発的に蔓延する可能性がある。

私は私の属する組織がお互いに学び合う組織であった欲しいと切に願う。

先日ある織物の専門家と会う機会をいただいたのだが、織物の縦糸と横糸の組み合わせの仕方を「組織」と呼ぶと教えてもらった。

縦糸と横糸が「組織」を作り上げる行為は美しい。それぞれすべての交点で柔軟な交わりがあるからこそ、組織は美しく織り上げられる。

しかるに、ネット界隈、ブログ界隈の最近はどうなのだろうか?あまりに巨大になっていて、もはや私には概観できぬものとあきらめてしまっているのも事実。しかし、例によって口はひとつしかないのに、耳は二つもあるわけだから、自分で話すことよりも聞く=読むことにもっともっと真剣であるべきなのかもしれない。

そうそう、んで、んで、それを書きたかった。こんな弱小ブログのままでいることも結構気持ちいいことなんだな、と。これだけ好き勝手書いていても、誰にも見つからないし、誰からも非難されない。これは結構すごいことだな、と。ま、ちと、逃げ場に使いそうな自分がいることは反省しなければならないが。