「もしドラ」の種本、「エッセンシャル版 マネジメント」を読了した。
マネジメントが責任を負うものは、成果と仕事に関わるすべてである。
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この一言につきる。
後半はマネジメントの方法、特に組織について多くの紙面がさかれている。だが、いまの私に印象に残ったのは、コミュニケーションに関する部分。
すでにわれわれは、コミュニケーションについて四つの基本を知っている。すなわち、コミュニケーションとは、1.知覚であり、2.期待であり、3.欲求であり、4.情報ではない。それどころか、コミュニケーションと情報は相反する。しかし、両者は依存関係にある。
強調は私。「コミュニケーションは情報ではない」ことはマネジメントの方法についてとても重要なことだと教えてもらった。
コミュニケーションと情報は別物である。ただし依存関係にある。コミュニケーションは知覚の対象であり、情報は論理の対象である。情報は形式であって、それ自体に意味はない。情報には人間はいない。人間的な要素はない。むしろ情報は、感情、価値、期待、知覚といった人間的な属性を除去するほど、有効となり信頼度も高まる。
これは違うかもしれないが、効果的なコミュニケーションには、「感情、価値、期待、知覚といった人間的な属性」が大切だということではないだろうか。組織内におけるコミュニケーションは、コミュニケーションそれ自体で意味を持つ。
ここにおいて、目標管理こそコミュニケーションの前提となる。目標管理においては、部下は上司に向かい「企業もしくは自らの部門に対して、いかなる貢献をおこなうべきであると考えているか」を明らかにしなければならない。こうして明らかにされる部下の考えが、上司の期待どおりであることはまれである。事実、目標管理の最大の目的は、上司と部下の知覚の仕方の違いを明らかにすることにある。もちろん、上司と部下の知覚が違っていたとしても、それぞれにとっては、それが現実である。
コミュニケーションがなぜ必要か、目標管理という成果をあげるというマネジメントの本質において、組織の上司と部下がどのような「知覚」を持っているかを明らかにする課程だからだということになる。情報だけでは、知覚の差は含まれない。成果をあげるコミュニケーションは、権力ではない。威厳でもない。成果をあげることに対して必要であれば、どのような責任をも受ける覚悟をもった行動だ。
だからこそ、それが赤提灯であれ、ミリオンダラーラウンドテーブルであれ、成果と目標の発表会であれ、コミュニケーションをとり、目標と知覚を明らかにする組織ないのマネジメント活動は重要なのだ。
かくして、組織の中のマネジメントの最も基本であるコミュニケーションからして、冒頭の成果と仕事に直結していることになる。