山本七平の「私の中の日本軍」冒頭の「私的制裁」によく似た体験をしたことがある。
- 作者: 山本七平
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 1983/05
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わざと薄暗くされた電球に正座させられ、「お前はなんでこういうことをされているか分かってるんだろうな?」と先輩から延々と問いつめら、説教をされる。暴力が直接ふるわれることはなかったにせよ、「反省会」と言われた非公認の「指摘制裁」があるという恐怖がその集団の秩序を保つ役目を担っていた。
赤軍と日本軍を比較し、どれだけ凄惨であっても、日本の組織に「私的制裁」が存在していたことに変わりはないと山本七平は指摘する。赤軍の岡本公三も、日本軍の兵士も、捕らえられ尋問されることよりも、死に損なって味方の下に変換されることを恐れたという。とうぜん、味方の「制裁」の方が恐ろしいからだ。
今日は何の日 -Today Watch- 5月30日(水)大安
前線の兵士は「戦陣訓」など存在すらもしらなかったと。「生きて虜囚の辱を受けず」と軍隊で訓練されたからではなく、「私的制裁」が恐かったから、「日本軍には引き渡さないから」と米兵に言われて安心して自白したのだと。
これまた私の私的経験でも、管理する立場にあられた方々には「反省会」を制御することはできなかった。
ネット界隈をこうした「制裁」と比較することは不適切かもしれない。
そして、「政治的問題」が「力」に焦点をあてるかぎり、ネット界隈における現代のオストラシズム(追放、村八分)につながると思う。つまり、ルール違反者をどう排除するかという問題だ。
集団知を引き出す、開放系の組織論 - HPO:機密日誌
最近、はてなブックマークで話題になってからマスコミなどで話題になるケースが多いように思う。
暴力も、私的制裁も、総括も肯定しようとは思わないが、一定の組織、社会の底には「排除する力」が働いている。ネット界隈も、一定の秩序に至るまでには、法的な規制などではなく、ネット界隈の構成員を自認する人々の間で「排除」の力が有効に(!)働くようになることが前提となる。
6年前に直観したことが実現に近づいているのを感じる。薄暗い電球を思い出すので、ひとつもうれしくはないが。