HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

吉田茂と国防

ようやく読了した。首相になるまでの過程に工藤美代子は多くをさき、首相時代については吉田茂と国防についてさらっと書くにとどまっている。特に、ロンドン大使時代に吉田茂が対立した駐在武官、辰巳栄一との関係を強調している。

赫奕たる反骨 吉田茂

赫奕たる反骨 吉田茂

また、戦後の混乱期で政治家というものが、何を目指してきたのが、どうして自民党を作らねばならなかったのか、そういう事実をまなんばないと、ほんとうのいまが見えてこないのだなと一人で納得している。

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辰巳栄一の評伝を読んでみたい。

歴史に消えた参謀 吉田茂の軍事顧問 辰巳栄一 (産経新聞社の本)

歴史に消えた参謀 吉田茂の軍事顧問 辰巳栄一 (産経新聞社の本)

GHQ内部で容共派と反共派があったらしい。前者の代表が民政局のホィットニーであった。

ホイットニーが指揮して作成された憲法草案は、1946年2月13日、ホイットニー自らの手で、麻布の外務大臣官邸において吉田茂憲法担当国務大臣・松本烝治に手交。同時にホイットニーは、松本烝治から提出されていた憲法改正要綱(松本甲案)は、「自由と民主主義の文書として、最高司令官が受け容れることは全く不可能」との申し入れを行なった。松本烝治の回想によれば、もしこのGHQ草案を受け入れなければ「天皇の御身柄を保障することはできない」と言明したという。

コートニー・ホイットニー - Wikipedia

サンフランシスコ平和条約日米安保条約締結後の朝鮮戦争勃発で、反共派が前面に出て来て、平和憲法を制定させたにも関わらず警察予備隊から自衛隊の創設へとGHQ主導で進む。この時に、私設軍事顧問であったのが、辰巳栄一だという。

戦後の連合軍占領中は旧軍の反共主義工作機関「河辺機関」(河辺虎四郎が長だったためこの名がある)を率いた。また警察予備隊の幹部人選に駐英武官当時からの上司であった吉田茂の腹心として関与(吉田内閣で軍事顧問)。

辰巳栄一 - Wikipedia

しかし、辰巳栄一が国防強化への思いのあまり、CIAなどに政府の内部情報を流していたらしい。

 有馬教授は同館で発見したCIAのコードネーム表、辰巳氏ら旧軍人に関する文書などを総合的に分析。「より強力な軍隊と情報機関の創設を願っていた旧軍人の辰巳氏は、外交交渉で日本に再軍備を迫っていた米国にCIAを通じて情報を流すことで、米国が吉田首相に軽武装路線からの転換を迫ることを期待していた」と指摘している。

吉田茂側近がCIAに情報を提供 早大教授が米公文書発見 - 47NEWS(よんななニュース)

誠に軍略といのは分からない。

ともあれ、首相を退いて10年がたち、改めて辰巳栄一と再開した吉田茂は、こう語ったという。

「君とは以前、再軍備問題や憲法問題で随分と議論したが、今となってみれば、国防問題については深く反省している。再軍備はもっと早くてもよかったかもしれない。
日本が今のように国力が充実して、独立大国になったからには、国際的に見ても国の面目上、益々軍備を持つことは必要だ」