HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

繁栄こそが試練

宋名臣言行録」について書かれた山本七平の「指導力」を読んだ。衝撃を受けている。どんなに合理的な改革であっても、必ずしも善ではないと。実は、繁栄こそが試練であると示されているからだ。自分を王安石に例えるのはあまりに不遜である。しかし、組織を改革しようと十年に渡る試みをしながらいまだ組織内の潜在的な対立を抑えられずにいる自分と、王安石の失脚を比べて嘆ぜざるを得ない。

山本七平は、「少しは自分で努力して読んでみろ」といわんばかりに本書の中では書き下し文しか示さない。指導者には古典の素養が必要だと本書の体裁からして主張している。山本七平の意図が北宋の歴史と、戦後の日本の政治的混乱を比較することにあるのは間違いない。

宋名臣言行録に示されているのは、あまりに人間臭い政治史である。「地獄への道は善意によって舗装されている」といわれる。宋の歴代の皇帝もみな勤勉実直。名臣たちを思いつくままに名前をあげれば、文筆家として知られる欧陽脩、「資治通鑑」の司馬光、「新法」という実に合理的な行財政改革を行った王安石、書家としていまも手本とされる蘇軾、朱子学陽明学の祖とされる程邕程頤兄弟、そしてももちろんこの「名臣論」を編んだ朱熹などなどなど。みな政治家としてより文人として知られる。文物の発展も著しい。メディチ家に先立つこと百数十年にして、金融ネットワークも備えていた。実際、草創から南宋の滅亡まで300年の歴史を誇る。それでも、政治的には混乱し、内紛を解決できず、最終的には内部からの要因で北宋が失われ、モンゴルの勃興とともに南宋も滅亡する。


宋 (王朝) - Wikipedia

本書を読んで自分のやってきたことのこれからを不安に感じている。これまで、私は、まわりで若くして成功している方々を横目に見ながら、組織の伝統と歴史を大切にしながら、なおかつ後に続く者達の育成に気を配り、組織の体制を整えて来たつもりだ。しかるに、その才は宋の諸子に遠くおよばない。およばないこと比較すること自体が不遜のそしりを受けるほどだ。それでも、旧来の風俗、旧来の勢力の影響力を王安石は排除することができなかった。いまだに強く旧来の在り方から脱却できない。組織全体の利害、目的、在り方、考え方、風土を研ぎすませて来たつもりだが、組織の人員の中の小さな部門の利害感情、いわば「兵隊根性」を払拭できずにいる。間違いなく私の属する組織のメンバーは誰もがまじめで、職務に対して清廉にとりくんでいる。まわりからいつ寝ているのかとまわりから聞かれるほどだ。それでもだ。

王安石の提言のあやうさに近いものを、いまの自分の組織に感じる。

「陛下は先王の正道によって天下の世俗を変えようとなさっておられます。だから天下の世俗と天秤にかけられているようなものです。世俗が強ければ人々はそちらに靡き、陛下が強ければこちら靡きます。はかりは揺れ動き、千鈞の物といえども、分銅の加減で動きます。今、姦人が先王の正道をやぶり、陛下のやろうとしているところを阻もうとすれば、陛下と世俗が均衡している今、僅かな重さを世俗に加えれば天下と言う大きなはかりは世俗に傾きましょう、これが紛糾の原因に他なりません」

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そして、王安石はきわめて優秀な人物であったにもかかわらず、この「天秤」の上のわずかな「分銅」により失脚した。短期的には行財政改革に成功した「新法」も宋代を通じての政治的な混乱に拍車をかけただけで終わった。

この歴史的な事実に抗うことは極めて困難である。それでも、日々の実践の中から「世俗」と「正道」のバランスに破れぬように努力したい。いまは、そういうのが精一杯だ。