HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

近現代日本の危機と国体

本書は日本の危機において天皇陛下がいかなる役割を果たされたかという問題を描いている。直接的に書いているのは、関東大震災であり、戦前の農村をおそった米作不況であり、太平洋戦争であり、ゴジラである。

国の死に方 (新潮新書)

国の死に方 (新潮新書)

国の死に方(新潮新書)

国の死に方(新潮新書)

それぞれの危機がどんなものであったか。ぜひ本書を読んで欲しい。すばらしい本だ。過去の歴史を読んで、現代の日本が抱える問題がいかに一過性のものではないかが伝わる。それぞれの時代、それぞれの危機を乗り切った方々がどれだけ真摯であったかが伝わる。歴史と過去は美化するか、卑下するかしかない。本書は見事に等身大で危機の歴史を描いて見せている。本書の随所で、映画でセピア色の絵が天然カラーにかわる瞬間を感じた。

ちなみに、ゴジラの危機とは戦後の日本の政治的なリーダーシップのなさと、だらだらとつづく原爆、原発の恐怖の象徴として語られている。本書のモチーフとして見事だ。

終章に至るまで、天皇陛下の言動は、まるで日本の危機の歴史の背景であるかのように扱われている。しかし、そこここに日本が普通の国としては大変な矛盾を抱える中、それぞれの危機を抜け出せたのは、天皇陛下の意思と行動があったからだということに気づかざるを得ない。国民の不満と思いを受け止められずに死んでいく国はたくさんある。現在進行中のウクライナでもいい、つい先日のエジプトでもいい。死にゆく国の例はことかかない。近代の民主主義国家、自由主義国家、あるいは社会主義独裁国家でも、国の体制を保つには様々な矛盾を抱えている。

本書の地震保険に関わる論でもあきらかなように、これらの危機はべき乗則的であり、ブラックスワンなのだ。id:finalventさんがおっしゃるように歴史はブラックスワンで形作られている。本書はまさに日本の近現代の歴史がブラックスワンで形成された過程を描いている。

日本も例外ではない。そもそも、歴史的に見て、鎌倉、室町、江戸時代の体制の問題の反省から、独裁者を出さない、権威者の権利が下降していかない体制を作るために作られた明治憲法下において実は天皇陛下の地位は難しい。私もまがりなりにもリーダーであり、私の下にそれぞれ長がいる組織がある。この連携をいかに果たすかの大変さはみにしみてよくわかる。「君臨すれども統治せず」なんてほぼ不可能であることもよくわかる。歴史的な変遷の中で、フォロワーに相当する人達の強い想いがなければ国とはそもそも成立しない。

本書の終章において「未完のファシズム」でも詳細に論じられた国柱会田中智学の系統へと戻っていく。智学の息子である里美岸雄の国体論だ。

里見は、水戸学や『国体の本義』が声高らかに決して謳わず、吉田茂も決して触れようとはしなかった国体の核心とでも言うべき者を赤裸々に抽出して見せた。端的に言えば犠牲を強いるシステムとしての国体である。
里見は言う。国家は理念的には二つの社会によって構成されねばならない。ひとつは利益社会である。(中略)
だが国家は利益社会だけでは成り立たない。(略)戦争や災害の危機抜きでは通れない。利益社会を守り維持し伸張させるには、誰かが進んで犠牲になる必要も出てくるだろう。だが、自らの利益を追い求めることに賭ける利益社会の構成員が、自ら死にゆくとは想われない。(略)かくして利益を第一義とする社会とは別な、もう一つの社会が不可欠になってくる。里見はそれを犠牲社会と呼ぶ。

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日本の天皇陛下、皇祖皇宗に象徴される日本の「君民相和す」の伝統ほど、この犠牲社会に転化しやすいものはない。いや、国の象徴とは誰もが分かっている犠牲を払うためにそもそもあった。ただ、日本の場合はそれが大変穏やかな形で推移し、長い長い歴史と伝統を現代にもつなげることができた奇特な国であったということ。

現代社会を生きる我々は、この伝統といかに直面していくか、維持発展させるのか、よくよく考え抜いて、行動する必要がある。この伝統の担い手は私たち以外いないのだから。

・・・と、杜山さんは書かない。まだ足りない、考え続けるとおっしゃる。その視線の先を今後も一読者として見ていきたい。また、自分自身も行動し、考えていきたい。

*1:「殺人ザル」において考察された「外部性」とはまさにここでいう「利益社会だけでは成り立たない」メカニズムだ。現代の国家が死にゆく原因だ。

殺人ザルはいかにして経済に目覚めたか?―― ヒトの進化からみた経済学

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