山本七平の「色即是空の研究」を読み始めた。「嘘も方便」とは大きな誤用で、どこまでも悟りを求めて精進しつづけることが方便の真意だと。
- 作者: 山本七平,増原良彦
- 出版社/メーカー: 日本経済新聞社
- 発売日: 1984/10
- メディア: 単行本
- 購入: 1人 クリック: 1回
- この商品を含むブログを見る
方便(ほうべん、サンスクリット:upāya ウパーヤ)は仏教用語であり、悟りへ近づく方法、あるいは悟りに近づかせる方法のことである。方便の意味は仏教の歴史とともに分化・深化した。
方便 - Wikipedia
方便というと、法華経の「化城宝処」がよく引き合いに出される。
宝のある場所(宝処)に向かって五百由旬という遥かな遠路を旅する多くの人々がいた。しかし険しく厳しい道が続いたので、皆が疲れて止まった。そこの中に一人の導師がおり、三百由旬をすぎた処で方便力をもって幻の城を化現させ、そこで人々を休息させて疲れを癒した。人々がそこで満足しているのを見て、導師はこれは仮の城であることを教えて、そして再び宝処に向かって出発し、ついに人々を真の宝処に導いた。
法華七喩 - Wikipedia
山本七平は、この物語の真意は幻の城を見せてでも宝の場所に到達させることが「嘘も方便」なのではなく、幻の城を見せてでも進み(修行)し続けさせることが大事だという。この仏教的な考えを、鈴木正三の言葉を引きながら、キリスト教、プロテスタンティズム由来の資本主義へと結びつける。したがって、山本七平は書く。
この(資本主義は仏教の「方便」であり、修行に終わりはないという)考え方が失われることは、資本主義が堕落した証拠である。金もうけが目的化してしまったら、資本主義ではない。
商売でも、職人の手仕事でも、仏道の修行だとして仕事に打ち込めば、悟りにつながる道となると、鈴木正三は書いている。商売に成功し、資本の蓄積ができたところからが、資本主義の精神の真価が試される「修行」であるのだろう。稲盛塾長も「成功こそが試練なのだ」と明言されていた。