HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

革新官僚

NHKの「経世済民の男 小林一三」の再放送を見た。大変、素晴らしいドラマだった。

このサイトの動画の中でもチラッと「革新官僚」が出てくる。なるほどこうだったんだろうと想ったのは、小林一三が第二次近衞文麿内閣で商工大臣のなった時のエピソード。革新官僚達と、小林一三が経済新体制確立要綱をめぐって、革新官僚と激突する。かなり戯画化されていたはいたが、ああなるほど革新官僚達というのは、これほど意気軒昂であったのだというのが伝わった。なにしろ大臣の意見を無視し、国会を通った法案をも無効かしてしまうほどなのだから。

小林は近衛文麿に接近し、第2次近衛内閣で商工大臣となった。近衛は当初岸信介を商工大臣に考えていたが、岸は財界の人間を大臣として自らは次官にとどまることを希望したため小林が大臣となった。しかし統制経済もしくは計画経済論者の革新官僚の代表格である岸と資本主義的財界人である小林は強く対立し、小林は岸をアカであると批判した。企画院事件で企画院の革新官僚ら数人が共産主義者として逮捕されると岸は辞職せざるをえなくなる。しかし岸は軍部と結託し、小林が軍事機密を漏洩したとして反撃、小林も辞職、雑誌に『大臣落第記』を寄稿した。

小林一三 - Wikipedia

ことの前後が私にはわからないが、「経世済民の男」のこの場面は企画院事件の後のはず。逮捕者を出した後ですら、この有様では山本七平が言う通り、いかに昭和維新だの、革新官僚だのが筋金入りの社会主義であったことがうかがえる。当時の限られた見聞では全体主義こそが富の不平等を減らし、国家の生産性を最大化することだと信じられていたのだろう。阿部サダヲ演じる小林一三が「生身の人には、欲があるんだよ。家族を食わせたい、出世したい、うまいものがくいたい。この欲こそが、社会の原動力なんだよ」と革新官僚と議論する場面がある。小林一三を庶民目線が常にある人と描いたドラマの焦眉でもあった。

小林の師匠である岩下清周とのやりとりで、「日本を一流国にしたい。一流国とはどういう社会か?」という問いに小林は「努力が報われる社会です」と答えていた。これは五箇条の御誓文の「官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメン事ヲ要ス」そのものではないか。「官武一途庶民ニ至ル」は、「すべての人が」という意味だろう。「其志ヲ遂ケ」る社会とは、努力が報われる社会そのもの。そして、「倦マサラシメン」とは、「失望させない」という意味ととる。人が努力をしても報われず、失望し、絶望に至ることは、社会の活力を失わさせる。アノミー状態にはさせないということ。その時代、その時代で、栄枯盛衰、成功と失敗はあっても、民衆が絶望に陥らない社会であることは必須だ。

岩下清周...奥田瑛二
銀行員時代の一三の上司。将来性のある事業に大胆な投資をして、日本の近代化をけん引。一三を「事業」の面白さに目覚めさせる。その後独立し、一三が銀行を辞めるきっかけをつくるが、疑獄事件に巻き込まれ失脚。一三の運命も大きく変わっていく。

小林一三 | NHK 放送90年ドラマ 経世済民の男

こうして長らく私が追求してきた疑問がますます現実であったと思い知らされる。

この(太平洋)戦争で本当に勝ったのは誰なのかという疑問がいまだ私の胸から消えることがない。もし、尾崎を中心とした桜会、昭和会のメンバーが目指した理想と、(彼らとは)全く反対の(右翼)イデオロギーからスタートした北一輝の「日本改造法案」とが重なるのであれば、それは実は(彼の構想は)戦後(の社会として)実現したと言えるのではないか?そして、その状態を誰が実現したのかを考えるとき愕然とする。

「戦後官僚の起源」 - HPO機密日誌

敗戦が、革新官僚達の「成功した革命」であったと。