HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

「夢の言葉、言葉の夢」の川又千秋

「夢の言葉、言葉の夢」を書いたときの川又千秋の年齢をあきらかにオーバーしてしまった。

をっと、いま計算してみたら、少なくともSFマガジンに連載されたとき、川又千秋は25歳だった計算になる。いつのまにか大幅にオーバーしていた。

自分が高校生の頃、そう「夢の言葉、言葉の夢」に読みふけった時には、島尾敏雄がわからなかった。理解し始めたのは、自分自身が結婚した25歳の年。通勤電車で「死の棘」を読んだ。結婚とは想像とは大層異なる体験なのだと気づいた年。本書でモチーフのように繰り返し取り上げれている島尾敏雄川又千秋卒業論文だったとは、随分たってから知った。ということは、20代前半で島尾敏雄を理解していたことになる。

死の棘 (新潮文庫)

死の棘 (新潮文庫)

山形さんがうまいことを書いていた。なるほどとうなった。多分、山形さんがこれを93年に書いたときには、川又千秋が本書を書いた年齢くらいだったのだろう。するり、するりと手からぬけていってしまうという感覚が分かる。その感覚を求めて、哲学思想系統に傾倒し、ニューアカ(赤)にそまり、理系から文系にころんだ。あの感覚はなんだったのだろうか?いま、再度読み直せばつかめるのだろうか?