id:finalventさんの「二十歳の原点」の「新しい『古典』を読む」を読んだ。衝撃的だった。セックスできなくなるくらいに。
人間はなぜか死を厭わない献身的な愛の衝動に突き動かされることがあるが、どこかしらその愛の衝動は性に引き起こされる死の衝動を経由しているように思われる。むしろ、性の衝動は愛の献身に至る回路で、自死の欲望を経るのではないだろうか。
性快楽からの疎外による悲劇、とその希望――『二十歳の原点』の謎[四]|新しい「古典」を読む|finalvent|cakes(ケイクス)
- 作者: 高野悦子
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2003/05
- メディア: 文庫
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当然、Cakesを購読して「謎」の[一]から読むべき文章。ここだけ切り取ってきても、なにも伝わらない。それでも、書かずにはいられない。なにから逃れたいのかわからないまま、衝撃をぬぐえない。
これまたfinalventさんが、どこかで紹介していらした島尾ミホの「海辺の生と死」をずいぶん前に読んだ。「二十歳の原点」は未読だが、その一シーンと「二十歳の原点」のまだ見ぬ高野悦子が重なってしまう。
- 作者: 島尾ミホ
- 出版社/メーカー: 中央公論社
- 発売日: 1987/03
- メディア: 文庫
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ミホは、太平洋戦争中、沖縄県の島に赴任してきた将校、島尾敏雄と恋に落ちる。米軍がまさに攻めてくるその時に、どうしても島尾と会わなければならないと心を決める。身を清め、白い着物を着て、戦線の銃弾をくぐりぬけ島尾に会いに行く。その決死行を、ミホは本書で書いている。狂気としか言えないほどの情熱。自分の死を賭してでも、恋する相手に会わなければならない決意。ここに「死を厭わない献身的な愛の衝動」を感じる。そして、この衝動が「性」と深く結びついているのも分かる。自分の人生の中でも体験している。
そう、ここまで書いてはじめて意識化できた。私が恐怖するのは、finalventさんの言う高野悦子の「献身的な愛の衝動」と「死の棘」で描かれる島尾ミホの夫婦生活とが表裏の関係であるからだ。愛と嫉妬と狂気の男女関係だ。
- 作者: 島尾敏雄
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1981/01/27
- メディア: 文庫
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私の結婚は破綻してしまった。高野悦子ほど性に耽溺するでなく、島尾ミホほどの情熱でもなかったが、結婚した時にはお互いの「愛」と「献身」があって結ばれた。平凡な関係であっても、互いの性の深淵に対して、蓋をすることはなかった。結果、20年と4日が経過して結婚が破綻した。破綻するほどには「死の棘」ばりの男女の間の狂気を体験した。だから、仮に高野悦子が「二十歳の原点」を生き抜いたとしても、本当にその後の人生、その後の恋愛を生き延びれただろうかと私は想う。
ちなみに、上記エントリーは結婚が破綻する半年あまり前の日づけ。愛と性とは恐ろしいものではあるが、愛と性がなくては生きていけない。50を前にまだこんなことを言っているようでは、まだまだだなと。