言葉、特に書いた言葉って、実はシュガーマンの使い方が一番正しいのじゃないかと最近思えてならない。
シュガーマンは、宣伝文の書き方を詳細に説明していく中で、「キャッチはボディーを読ませるためにある。ボディーの第一センテンスは、第二センテンスをよませるためにある」と書いている。強く印象にのこっている。だって、これってほとんど呪術でしょ。
多くの言葉は、価値を見過ごしてしまうものごとの別の側面に気付かせるために作られている。特に書かれた言葉は、ものごとの価値を高める。同じことを会話で話すのに、たとえブログであっても文章として書くのでは、大きく違う。呪術的な意味が付加されているように感じてしまう。
川又千秋からのまた引用くらいなんで不確かなのだけど、ボルヘスの小説で、一語文しか話せなかった蛮族の話しが出てくる。突然、言葉と言葉をつなげることを発見するやつがでると、そいつは神になる。二語文を部族のみんなの前で披露すると、部族は興奮に包まれる。そして、神であるために殺されるとかなんとか。
- 作者: 川又千秋
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 1983/11
- メディア: 文庫
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近代文学の写実主義だって、見過ごされてしまうような日常のあれこれを書くことで、生活の持つ意味を高める運動であった。愛を語る言葉も、お互いのお互いに対する価値を高めるために発せられる。
直接関係ないけど、現在、旅行中の新潟で拝見した書をいくつかあげておく。
あまりに美しい書道をみていると、ボルヘスの蛮族を思い出す。