ずいぶん前にロジスティクスの進歩が、進化の本質ではないかと考えた。単細胞生物から多細胞生物へ、部族社会から都市国家へ、帝国へ、近代市民社会へと進化していく過程の最大の変化は、ものとエネルギーをいかに運ぶ速度と量を増大させるかではないか。
本書によれば、生物の法則性を示す活動の多くは、体内のネットワークで決定されるという。たとえば、生物の代謝については、心臓から毛細血管にいたる分岐の形がネットワークを決める。もし生物の代謝が内部の「物流」ネットワークの分岐の仕方できまるのなら、人間社会の代謝=経済活動も、社会ネットワーク分岐の仕方で決まるのではないか。資源を加工して個人が消費するところまで、逆に個人がお金を払ってそのお金が資源と交換されるまでの各経済主体の分岐の仕方がネットワークを決めるのではないだろうか。
- 作者: John Whitfield,野中香方子
- 出版社/メーカー: 化学同人
- 発売日: 2009/01/29
- メディア: 単行本
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代謝をエネルギーと受け止めれば、生物の活動はまさにエネルギーという貨幣をめぐる活動だといえる。ロジスティック式を捕食者と被食者の関係に拡張したロトカ=ヴォルテラの方程式で有名なロトカの言葉が、本書の中で引用されていた。
この世界はエンジンのようなものである。といっても何かを動かすわけではなく、自らに動力をを供給し、自己修復しているのだが、そのすごいところは、進化を通じて徐々にその活動を改善できるところだ。生物は水車のようなもので、上を流れるエネルギーがそれを回している。自然淘汰はエネルギーを最もうまくとらえ最も早く使う生物をひいきして、その水車を大きくまわし、いっそう早く回らせる。その結果、世界というエンジンは速度をあげていく。進化の法則とは「エネルギー流最大化の法則」であり、自然淘汰は熱力学の法則なのである。
エネルギーが生物にとって貨幣であるなら、「貨幣最大化の法則」が経済の法則であるといえる。であれば、経済活動をそのまま生物活動と同様にとらえることにも妥当性があるのではないだろうか?
たとえば、ほとんどの植物で道菅が同じであることから、植物の代謝である葉に水をくみ上げられる高さが決まるのだそうだ。このために、地球上の樹木の高さは100mを超えないのだそうだ。会社の従業員数も一人から数万人まででしかない。巨大企業グループはあっても一千万人以上の雇用をしている会社というのは聞いたことがない。*1会社のサイズの上限は、指揮命令系統の上から下への情報、あるいは個人から報告や給与、税金、保険などの属性などの下から上への情報という流れが、最後は言葉で伝えられるためではないだろうか?道菅を流れる水の量が樹木の規模をきめるように、言葉が伝えられる情報量が企業のサイズをきめるのではないだろうか?*2
ほぼあらゆる動物の代謝が体重の3/4乗になるのは、血管の太さで決まるという。毛細血管は、すべての動物に共通するのだそうだ。そして、送り側の一番根本である心臓というハブからでる大動脈の太さにも上限がある。この2つが決まれば、血管網を最も効率よくエネルギーを分配ネットワークとしてとらえれば、その分岐の仕方が決まる。同様にして、タンカーなど最大運べる貨物の量と一人が使う物資の量が決まれば、経済ネットワークの物流の側面は決定できる。
植物や生物に見られる成長や繁殖のS字カーブ*3も、個体や集団が小さいうちには成長の速度が速く、成熟していくに従って成長が遅くなる、あるいは個体数が均衡するために、生じるのだそうだ。これも同様に、企業にもあてはまるのではないだろうか?企業が誕生して、淘汰に淘汰を重ねながらも、小さい会社が育っていくスピードは速い。逆に始まったばかりの企業でスピードの遅いものは淘汰されやすい。そして、その企業の商売が持つ可能性の限界に達すれば成長は止まる。長いことそのままでいる会社もあれば、成熟しながらも環境の変化で簡単に淘汰されてしまう企業もあるだろう。もっとも成功した企業ですら前述のように指揮命令系統の情報量の限界により最大の形は決まってしまう。
生物と経済を比べることはいろいろな発想をもたらしてくれる。
■ちょっと強引ですが
資本と人口が集中する時は、素直に成長が進む。日本では1960年代ぐらいまでは、そういう形で成長が進んだ。
でも、それ以降は限界がくる。日本では60年代末〜70年代に石油ショックにぶつかった。
資本と人口の集中以上に成長率を高めるためには、知識や情報が大切になってくる。単なる技術だけでは伸びない。
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