本当に素晴らしい建築だった。空間の神聖さに打たれた。
外から見ると本当に岩山。
中に入ると光があふれる教会。
建築関係者としては、岩山をくり抜き、軽快な金属屋根屋根をかぶせる空間構成の巧みさに打たれる。
もうどこを撮っても絵になる。
ちょうど近くの音大の方がボランティアでピアノを弾いていらした。
短い滞在時間だったが、大変感激した。
本当に素晴らしい建築だった。空間の神聖さに打たれた。
外から見ると本当に岩山。
中に入ると光があふれる教会。
建築関係者としては、岩山をくり抜き、軽快な金属屋根屋根をかぶせる空間構成の巧みさに打たれる。
もうどこを撮っても絵になる。
ちょうど近くの音大の方がボランティアでピアノを弾いていらした。
短い滞在時間だったが、大変感激した。
フィンランドから自分へのお土産でムーミンの小さな絵本を買ってきた。
ムーミンの作品の中から一場面、一場面をトーヴェ・ヤンソンさんの挿絵とともに集めた本。子供になったつもりで、少しずつ読んでいきたい。
もっとも、トーヴェ・ヤンソンさんはムーミンをスウェーデン語で書いた。
「ムーミンが、スウェーデン語で書かれていることをご存知でしたか?」
『ムーミン』をスウェーデンのお話だと思っている人が時おりいらっしゃいますが、それはスウェーデン語で書かれているからなのです。
作者のトーベ ヤンソン(Tove Jansson)は、フィンランドの首都ヘルシンキの生まれ。フィンランド人ですが、トーベとその家族は「フィンランド・スウェディッシュ」と呼ばれるスウェーデン語を母国語とする人たちです。
https://www.facebook.com/EmbassyofSwedenTokyo/posts/878657815518074/
「フィンランド・スウェディッシュ」とは、両国の歴史の結果。
スウェーデン統治下のフィンランド(スウェーデン語: Finland under den svenska tiden)は、フィンランドがスウェーデンの一部だった歴史的な時期を指す。 スウェーデンのフィンランド統治が正確にいつ始まったかは不明である。 フィンランドでスウェーデン統治が確立されたという歴史的証拠は13世紀後半から見ることができる。 スウェーデンの統治はフィンランド戦争の結果1809年9月17日に終了された。
「フィンランド・スウェディッシュ」は現在フィンランドではごく少数だが、いまもフィンランド語とスウェーデン語の両方が公用語とされている。
民族比率は、フィン人が91.7%、スウェーデン人(スウェーデン系フィンランド人)が5.5%、サーミ人が0.1%、ロマ人が0.1%。
ヘルシンキの空港に降り立ってすぐに見えたサインに「Ulos / Ulo」と書いてあった。"ulos"はフィンランド語で出口の意味。直感で"ulo"はスウェーデン語で同じ意味なのだと思った。
いけない、いけない。子供の心でムーミンに取り組むつもりなのに、理屈ばかり述べてしまった。まあ、ゆっくり取り組みたい。
現在のスマフォはもう少しセキュリティが効いているとは思うが、情報社会の中でちょっとした情報漏えいから自分の生活が崩れかねない恐ろしさを感じた。
こんなにスマフォに仕込むだけで相手の情報が丸見えとなるアプリがあるなら教えてほしい。それとも、CIAとか軍用には実際に存在するのか?
結局、情報戦だけでない部分が原作の小説のミステリーたるゆえんであった。登場人物それぞれの背景と感情に踏み込む深さを感じた。
スマホを落としただけなのに (宝島社文庫 『このミス』大賞シリーズ)
ちなみに、飛行機の中で見たのだが最近の飛行機ライブラリーは最新作よりも作品のエンターテイメント性においたセレクションになっている。「カメ止め」も機内だった。
個人的には世界的にはすでに公開された「モータルエンジン」を期待していたのだが、ライブラリーにはなかった。
あるゴルフ場でラウンドしたら、そこの標語がラテン語だった。
「力とともに技も」と訳すのだろうか。
その翌日にある食事会があり、知人が国際基督教大学(ICU)出身だということで「教養」についての話題となった。言うまでもなくICUには教養学部しかない。教養とは”Liberal Art"であり、すくなくともラテン語、ギリシャ語が必須だと聞いた。その方は聖書の古いギリシャ語訳で卒論を書いたと聞いた。私は以前からLiberal Artとは自由民であるための教養であると考えていてその話しをしたら、一応同意をもらった。
そういえば、「アメリカの保守とリベラル」という本を読みながらダイアグラムを書いたことを思い出した。
ちょっと話が脱線したが、この知人はヨーロッパを旅行した時にどこの国に行ってもラテン語、ギリシャ語の素養があるので、すくなくとも書けば話が通じたと言っていた。先日オペレッタ「こうもり」を見た時にも同じ感想を持った。
最近では欧米人ですらラテン語の教育は無駄だという人も少なくないそうだが、やはり「教養」としても必須ではないだろうか?
よくわからないまま連れて行かれた。
ヘルシンキはロシアの大公国であった時に形作られた。海軍要塞がもとであり、もともと港町。
海軍の要塞であるスオメンリンナの要塞が築かれた18世紀になるとヘルシンキの状況も改善されたが、ロシアがスウェーデンを破った第二次ロシア・スウェーデン戦争と併合によるフィンランド大公国が成立する1809年まで十分な都市の開発は行われなかった。戦争中、ロシアはスオメンリンナの要塞を包囲した。そして、1808年の大火により市街の大部分は焼失している。アレクサンドル1世はフィンランドでのスウェーデンの影響を減らすことやサンクトペテルブルクに近いことから首都をヘルシンキに移した。
ヘルシンキ - Wikipedia
だから街並みもどこかロシア風に見えてしまう。
魚市場は、なかなか見ているだけで楽しい。ワインを一杯飲んだ。いい思い出。
正確には、Old Market Hall(Vanha kauppahalli)というらしい。
https://goo.gl/maps/B4vG2KhBrq42
先日のフィンランドで砕氷船に乗った。正確に言うとフィンランド側からスウェーデンにバスで移動して乗船した。当たり前なのだが、パスポートコントロールもないまま国境を越えるのは新鮮。看板の言葉が変わる以外あまりになにも変わらない。
https://www.visitfinland.com/ja/mystay/product/a-day-trip-to-sweden-with-icebreaker-polar-explorer-cruise/54761/www.visitfinland.com
バルト海に浮かぶ体験はなかなか得難いものであった。地続きで高くに行けてしまう大陸というのはこういうものなのだと。
たまたま本屋で見かけて一気に読了。中国近現代史を私にとっては新たな視点で読み解いていて興味深かった。
考えてみれば、中国はいまだに地方地方の「方言」が激しくて、中国人同士ですら「通訳」が必要だという話しは認識していた。著者の宮脇淳子氏とご主人の岡田英弘氏は、この前提に立って清朝の崩壊から地方毎、言語集団単位でのみ信頼が成り立っていたという考えから歴史を読み解いて来られた。太平洋戦争の「原因」を追求してきた私からするとパズルのピースというより、あらたなパズルの台紙をもらった気持ちだ。
もう少し詳しく後ほど書きたい。