HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

都市のメタボリズムはべき分布しなければ完結しない

菊竹請訓さんが亡くなった。私の師匠のそのまた師匠に当たられる方なので、少々衝撃を受けている。
作品の写真がwikipediaに上がっている。

ファイル:EXPO TOWER.JPG - Wikipedia

ファイル:Model of Aquapolis.JPG - Wikipedia

菊竹さんといえば、メタボリズムメタボリズムといえば、中銀マンシオンとか、70年の万博などが思い起こされる。戦後の復興から一気に未来都市を志向しようというエネルギーあふれる運動であった。べたに無秩序に都市空間が広がり、不足していくという予測の元にこれからのあるべき建築が考えられた。

メタボリズムによって残された建築物という「結果」からみれば、都市におけるメリハリの利いた空間を作り出そうとした運動であったと言える。超高層、高密度の目がストラクチャーと、公園・田園空間の共存。高速交通システムで有機的につながれた都市モジュール。交換可能な住空間/生産空間ユニットなど。このメリハリのために「有機的」だという言葉を使っている。なによりも「浅田スケール」がメタボリズムの根底にある宇宙論を表している。

有機的に展開する空間構成とは、べき分布フラクタルデザインに他ならない。事実、黒川紀章はこう語っている。

メタボリズム(新陳代謝、循環)というキーコンセプトは、生命の原理の重要なコンセプトの一つであることはいうまでもない。

(中略)

私は機械の時代から生命の時代への変化を、別の側面からいうと、ブルバギの体系から非ブルバギの体系への変化だと考えている。ブルバギとはフランスの数学者アンドレ・ベイユによって名付けられた研究グループのことで、真理は一つあり、それは還元主義的方法論で実証できるという立場をとるものである。これに対して非ブルバギの体系と呼ばれる学問大系は、真理は一つではなく、自立した部分の自己生成によって多様な全体が成立する体系をいい、複雑系の科学、免疫系の科学、ニューサイエンスといった呼び方をされることもある。これらの非ブルバギの体系は、多義的で曖昧な領域を含むものであって、これまでの合理主義的二元論が排除してきたノイズや曖昧性を積極的に取り入れる意味でいずれも共生の思想の目指している秩序と同じものである。

(中略)

しかしそのような複雑怪奇な自然現象の解析が可能な非線形解析やフラクタル幾何学をつくったのが数学者マンデルブロートである。

The Virtual Architecture

建築プロパーな方々からすれば、なにを行っているんだと言われる議論ではあるが、理念としてはメタボリズムを評価したくなってきた。

ちなみに、森ビルでメタボリズム展をやっているらしい。見たい。