前回のオリンピックの更に前に書かれた石原慎太郎のエッセイ集。40年近く前の友達のS君の下宿で見つけた。S君は父君からもらった本だと照れくさそうに私に言った。最初の一節だけ読んで返してしまった。
1960年前後に書かれたエッセイが収められている。そして、小林秀雄、大江健三郎、三島由紀夫など、私達の世代にとってはもはや神話のうちの登場人物ではないかと思える人物たちとの対話、リアルが描かれている。
石原慎太郎『孤独なる戴冠』
— 〇john (@Hachibee0012) 2016年11月23日
かつて下の写真の面々は同じ問題意識を共有し、意見を交わし、模索した。
政治家石原慎太郎には賛同しない。しかし、「人間の回復」を掲げ闘った彼には共感する。だけに今が悲しい。
彼らの「実験」は失敗したのか?問題意識を共有しつつ、なぜ道は別れたのか? pic.twitter.com/iwVKpgjAO2
なぜ「孤独なる戴冠」というタイトルなのかずっと不思議に想っていた。それは、数年に渡る石原慎太郎の小説、批評、映画、自動車、ヨット、建築などを通じた青年としての冒険を重ねた果ての行き先の決着なのだと。最後から二番目のエッセイ、「孤独なる戴冠」はこう始まる。
私は今、青年について、我々自身について語りたい。我々が今、どこにいるのか、どこへ向かおうとしているのかを。
このエッセイ集全体、ましてや「孤独なる戴冠」と題されたエッセイに書かれた石原の議論のすべてに私はついて行けていない。高度成長時代と言われ、エコノミックアニマルと言われた日本全体が明日を夢視ていた時代に大変な危機感を三島などと共有していたことは伝わる。石原が大変共鳴しているヘミングウェイの「キリマンジャロの雪」に生まれた豹を差し、最後にこう書いてある。
我々は豹だ。青年はその豹でなくてはならぬ。豹が一人喰いで伝っていったのは、彼自身の個性だったのだ。たといそれが結果として間違っていたにしろ、彼はそれをそこまでいった。高い山の頂まで、勇気をもって。そしてそこに待っていたものが闘志であろうと、彼は『神の家』を極め、地上のいずれよりも高貴な死の床を得たのではないか。それこそが彼が得た孤独の戴冠だった。
この一文を見つけるために40年も掛けた私は余りに愚かであり、石原の使命感を読み解くのが遅すぎた。このエッセイの後、1968年に石原は衆議院議員となる。豹になるために敢えて神の家ではなく、政治の衆愚への道を選んだのだ。S君はご名家の出であった。もしかすると、父君はS君に政治への道、国への関与を期待してこのエッセイ集を渡したのかもしれない。いまさらの推測に過ぎないが。