実は一巻目から四巻目「結婚」まで新たに一気に読み直した。ちゃんと2012年に三巻まで読んでいるのに、なぜこの漫画の持つ重要なメッセージに気づかなかったのだろう。
『娚の一生』(おとこのいっしょう)は、西炯子による日本の漫画作品。
娚の一生 - Wikipedia
『月刊フラワーズ』(小学館)にて2008年9月号から2010年2月号まで連載された。
娘の本棚で見つけ、一気読みした。
「娚の一生」 全三巻 - HPO:機密日誌
この物語は地域興しのために地熱発電を提案して、実現し、震災が起きて原発が停止した時にも十分に機能し、事業として成り立つことを示唆している。東日本大震災の発生以前に。
西さんってやっぱりすごい。にしても、四巻で海江田先生とつぐみの二人の幸せな姿を見れてほっとした。
ちなみに、本作品の舞台は鹿児島県、特に出水市のようだ。
出水市(いずみし)は、鹿児島県の北西部に位置する市である。2006年3月13日に周辺の旧高尾野町、旧野田町と合併して新市制となった。九州新幹線の停車駅があり、ツルの渡来地として知られる。
出水市 - Wikipedia
id:finalventさんのツイットを拝見して、もうひとつこの漫画の持つメッセージについて書き忘れたのを思い出した。
年食ったんで、「誰も僕を理解してくれなーい」みたいに人に迷惑かけたくない。ま、若い時もそうだったけど。逆に、普通にプラトンとか読んでても、プラトンのぐへぇな孤立感から、なかーま感はある。これ、でも言うと気狂いみたいだよね、って、Twitterでつぶやくなよ、自分。
https://twitter.com/finalvent/status/352244483401846785
私の友人に上田徹君という哲学者がいる。プラトンが専門だ。いや、四半世紀会っていないから確証はない。
中学の頃はばりばりバスケット少年だった彼は、大学で再び出会ったときは筋金入りの哲学青年に成長していた。ヴィトゲンシュタインや、カントなの、現代、近代哲学をよく教えてもらった。私には数ページで挫折せざるを得なかった「論理哲学論考」や「純粋理性批判」をよく読みこなしていた。心理学が私の専攻であったので、認識論を考える上では避けて通れない分野だったのだが、私の知性を超えていた。それをひもといてくれたのが上田君だった。
その彼があるとき、サティの音楽を聴いて現代哲学から転んだ。音楽でなぜこんなにもメッセージが伝わるのか身体で感じたのだそうだ。
私にはサティの衝撃がなぜ彼をしてプラトンにまで走らせたのか、いまだに分からない。私が知る限り、その音楽体験から以降彼は一筋にプラトンだけを求めて哲学している。
- 作者: 上田徹
- 出版社/メーカー: 東海大学出版会
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これとほぼ同じエピソードを「娚の一生」の海江田醇教授が語っている。五十歳をとおに過ぎた、海江田教授が二十歳のころに見た、つぐみの祖母の染色作品、「虹」によって哲学への見方を変えられた、人生を変えられたと激白する。自分は頭がいいと想ってきた、世界のこと、人々のこと、すべては哲学で語れる、説明できると信じていたと。それが、「虹」によって言葉でなく身体ですべてを感じられるのだ、共感できるのだと初めて理解したと。
以下、ネタバレどころか海江田先生のセリフまるまる2ページ分引用。私にとってはあまりに衝撃的、かつ上田徹君と重なるシーンだった。
先生(つぐみの祖母)と知り合うたとき、ぼくは哲学科の学生でした。
先生は別の学部に講師にきておられ、ごくために姿を見かける、幻のような方でした。
あるとき、学校近くの画廊で先生の染色の作品展がありました。
・・・ぼくは哲学をやりはじめのころで、人間のことや、世の中のことは頭で考えたらなんでもわかると思うてました。
自分はものすご、頭ええと言われてたし、自分でもそう思うてたし、世界はすべてぼくの頭の中にあるのやとさえ思うてました。
・・・先生の”虹”という作品がありました。一枚一枚、違う色に染めた布を無数につなぎ合わせた、たくさんの”虹”がまるい部屋のようになっていたのです。
ぼくは言葉を失いました。なぜか”世界”が一瞬にして理解できた気がしました。考えてもいないのに、なぜぼくは今、理解したんやろう。それは人生が変わる体験でした。