HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

インテリの価値

夏目漱石を漫然とiPod touchで読んでいる。こんなにすばらしい小説を、こんなに手軽に読めるなんて、青空文庫ばんざい!と叫びたくなる。


「あらゆる冒険は酒に始まるんです。そうして女に終るんです...あなたなんざあ、失礼ながら、まだ学校を出たばかりで本当の世の中は御存じないんだからね。いくら学士でございの、博士で候のって、肩書ばかり振り廻したって、僕は慴えないつもりだ。こっちゃちゃんと実地を踏んで来ているんだもの」

夏目漱石 彼岸過迄

なんべんこういう台詞を「実地」で聞かされてきたか分からない。私がいま生息しているところは、明治がそのまま続いていて高校卒業以降の学歴なんてまったくなんの役にも立たない。「門」でも、「行人」でも、学問があるなんざ人間がよわっちくていけないよ、と江戸弁が行間から聞こえてきそうだった。いったい自分がこれだけ追求しようとして努力した「学問」の何が悪いのかとずっと想っていた。その答えを安冨先生がくださった。

こういうふうに「奇妙だな」という感覚を捨てることで、人は「知識人」になるのである。

Amazon.co.jp: 経済学の船出 ―創発の海へ: 安冨 歩: 本

ああ、そうなんだ、それを知っている知っていないに関わらず、自分が習った自分の中にある理論や論理ですべてのものは説明できてしまうという信念を教室で鍛えられて来たのが「知識人」なのだ。目の前で、自分がこれからこれで食っていこうという分野のことがらをひととおり説明される。ああ、くだらないな、常識にあわないな、奇妙だなと想いつつ、いつのまにか、すべてのことがらをいくつかの「公理」によって説明可能だとあたまから入ってしまうのが、「知識人」であり、「インテリ」なのだ。

この信念が一般の人の幸せとそれほど乖離していなければ、インテリの信念は周囲の人を幸せにし、社会を改良していくことおもあるもしれない。しかし、人の幸せに関心をうしなった知識人は、豚にすぎない。ぶうぶうと「批判」と自称する不満をたれながしながら、体制の中で飼われ、えさを与えられる存在に堕落していく。*1

そうそう、あれだね。「痩せたソクラテスであっても、太った豚にはなりたくない」と。いや、ソクラテスもインテリか?いや、人の幸せを追求したインテリだとしておこう。

また、エントリーを改めるがそのソクラテスの弟子のプラトンを、私の大好きなタレブ氏が忌み嫌っているのは知っていたが、安冨先生までプラトン的な概念が西欧の学問を呪縛していると強く非難している。やれやれ。

ま、プラトンみたいなインテリとは、すべては影である、イデアこそがほんものだとさけぶわけだ。そして、目の前に在る「奇妙だな」という感覚に注意をはらわない。ほんとうは、そこにこそ創発があるのに。

*1:「ぶた」は漱石の「夢十夜」からの連想かな。 妻は豚か?それとも、女神か? - HPO:機密日誌